瀬田川
琵琶湖から流れて出る川は唯一、瀬田川だけ。
瀬田川は京都で宇治川に変わり、鴨川が合流した桂川と木津川と合流して大阪府で淀川になる。
多くは新淀川から大阪湾に注ぐ。
別に、毛馬の水門から大川、堂島川、安治川と名前を変え、大阪市の中心部を蛇行しなが大阪湾に注ぐ。これがかつての淀川。
琵琶湖から流れ出す瀬田川は淀川水系の本流と言ってたいいだろう。
この日は、瀬田の唐橋から川沿いを歩いた。
瀬田の洗堰には行かなかった。
瀬田の洗堰は4Kmほど下流にある。
次の機会に行ってみたいと思う。
瀬田川の河口は琵琶湖からの水を滔々と湛えていた。
薄曇りの天気で、日差しが弱かった。
日差しがよければ、下手ながら、もっとましな写真が撮れたかもしれない。
向こう見える山は比良山かもしれない。
京阪電車の石山坂本線で、「唐橋」駅で降りた。
唐橋は歩いてすぐ。
ここは唐橋を渡る車や川沿いを走る車が、唐橋袂の西で交差して、かなり渋滞していた。
信号のタイミングで、一瞬、車がない状態にもなる。
混むが、わりとよく車が流れているからかな。
唐橋は一目すると木の色だが、どう見てみコンクリート。
雰囲気だけ。
この辺りは西岸近くに洲がある。
川を東に渡るとある川沿いを走っている道路は「夕照の道(せきしょうのみち)」という。
この道は、下流に向かって途中、川からはなれ迂回して、南郷洗堰まで続いている。
南郷洗堰が瀬田川の洗堰だろう。
瀬田唐橋
京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三大橋[4](日本三名橋[5]・日本三古橋[6])の1つとされてきた。また、近江八景の1つ「瀬田の夕照(勢田夕照)」として知られる[7]
東海道・東山道(中山道)方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡るか南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡る必要がある。1889年(明治22年)まで、瀬田川に架かる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝であり、京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」といわれた[2][5]。唐橋を舞台として繰り広げられた壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、橋は昔から様ざまな戦乱に巡り合ってきた[5]。そのため、古代より何度も焼き落されたとされるが、その度に当時の浅瀬の位置に橋が架けられた[12]。
(ウィキペディア「瀬田の唐橋」より