蝉丸神社と関蝉丸神社上社 複数あった蝉丸神社 【滋賀県大津市】 20241104

 

三社ある蝉丸神社

蝉丸神社は三社あるといえるかもしれない。

逢坂山関跡碑の近くの京阪「大谷」駅前に「蝉丸神社」があり、 逢坂山関跡碑を過ぎて大津方面に歩くと「関蝉丸神社上社」があり、さらに先には「関蝉丸神社下社」がある。

蝉丸神社と関蝉丸神社はどうちがうのか?

関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。社格は旧郷社。上社(旧称関大明神蝉丸宮)と下社(旧称関清水大明神蝉丸宮)からなり、また当神社の分社となっている蝉丸神社と3社を併せて蝉丸神社と総称することもある。(ウィキぺディア「関蝉丸神社」より)

 

社伝によれば、弘仁13年(822年)に小野岑守が旅人を守る神である猿田彦命と豊玉姫命を逢坂山の山上(上社)と麓(下社)に祀ったのに始まるという。貞観17年(876年)に従五位下を授かった近江国「坂神」がこれに相当する国史見在社と見られている[1]。 平安時代中期の歌人で琵琶の名手として知られた蝉丸が逢坂山に住んでいたことから、その死去後に彼も上社と下社に祀られるようになった。天禄2年(971年)には円融天皇から下された綸旨により、以後歌舞音曲の神としても信仰されるようになった。 (ウィキぺディア「関蝉丸神社」より) 

蝉丸神社

京阪電車「大谷」駅前あたりに「蝉丸神社」がある。

f:id:m3785com:20241110133706j:image



f:id:m3785com:20241110133614j:image

蝉丸神社の由緒

当社は天慶九年(946年)蝉丸を主神として祠られております。

蝉丸は盲目の琵琶法師とよばれ音曲芸道の祖神として平安末期の芸能に携わる人々に尊敬され当宮免状により興行したものです。

その後万治三年(1660年)現在の社が建立され 街道守護神猿田彦命と豊玉姫命と合祀してお祠しております。

f:id:m3785com:20241110133628j:image

階段を上がったところから拝殿の方向

拝殿の前から階段の方向

拝殿
f:id:m3785com:20241110133816j:image

 

関蝉丸神社上社

逢坂山関跡碑を過ぎて旧東海道を大津方面に下っていくと、赤い鳥居が見えてくる。

そこが関蝉丸神社上社。ここからさらにずっと旧東海道を下っていくと関蝉丸神社下社がある。この日は、行き損ねた。

f:id:m3785com:20241110133558j:image
f:id:m3785com:20241110133833j:image

本堂

本堂前から拝殿

拝殿近く