逢坂山関跡 旧東海道峠越えの散歩 【滋賀県大津市】 20241104

今回ルートのマップ

追分道標を後にして、少し歩くと「滋賀県大津市」に入る。

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京阪「大谷」駅の少し先の「逢坂山関跡碑」まで行って行くことに。

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旧東海道、滋賀県大津市。
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国道1号線

一旦国道1号線から離れた旧東海道は、追分道標を通り再び国道1号線に合流する。

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人通りは少ないが、時折歩いている人や自転車とすれ違ったり追い抜かれたりた。

この辺りから緩やかな坂が始まる。急な坂ではないので、ゆっくり歩ける。

こんな坂でもで自転車では大変だと思うが、峠を越えていく自転車をよく見かけた。

サイクリング用の自転車から、ママチャリのような自転車と色々あった。

大津市の方向

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京都市山科区の方向
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走井道標

国道1号線の歩道を歩いていると、石碑が目についた。

何と書いているのだろう。

右一里丁まで読めたが、その次は読めなかった。

走井道標

「右 一里丁 左 大谷町」 と書かれているようだ。

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月心寺

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趣がある石壁。いい感じだ。
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大津算盤石碑


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大津算盤の始祖・片岡庄兵衛

江戸時代、東海道筋のこの付近で売られていた大津算盤は、慶長十七年(一六一二)、片岡庄兵衛が、明国から長崎に渡来した算盤を参考に、製造を始めたものと伝える。同家は以後、この碑の西方にあった一里塚付近(旧今一里町)で店を構え、幕府御用達の算盤師になったという。なお昭和初期まで、この碑の場所にも同家のご子孫が住まわれていた。

大谷駅へ

旧東海道は歩道橋を渡り大谷駅前を通る。f:id:m3785com:20241110133555j:image

まっすぐ国道1号線沿いを歩いても行けそうだが、旧東海道は、歩道橋を渡った所を通る。
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大谷駅

歩道橋からf:id:m3785com:20241110133648j:image
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うなぎの店がたくさん

大谷駅の前にはうなぎ料理を食べることができる店があった。

その中でも、「逢坂山かねよ」という店が人気があるようだった。
本店とレストラン店の二店舗あった。
創業明治5年の「日本一のうなぎ」をうたい文句にする店。
「きんし丼」が売りのようた。

きんし丼(きんしどんぶり・きんしどん)は、一部のうなぎ料理屋で提供される丼物。うな丼に卵焼き、あるいは錦糸卵を組み合わせた料理。 滋賀県大津市の料理店「逢坂山かねよ」が発祥とされ[1][2]、同店の登録商標となっている。

この名称の料理を提供する店としては、逢坂山かねよと京都市の京極かねよの二店が有名である。
逢坂山かねよのきんし丼が厚焼きのだし巻き卵をうな丼に乗せたものであるのに対し、京極かねよのきんし丼は大きな薄焼き卵が丼を覆うスタイルで提供される。 京極かねよは逢坂山の暖簾分けであるが現在は絶縁しており、両店ともにきんし丼は自店のオリジナルであるとしている。
また祇園の老舗であるかね正などいくつかの店では、鰻丼の全面を覆い隠すようにたっぷりの錦糸卵を乗せたものをきんし丼として提供している。 

(ウィキペディア「きんし丼」より)

 

駐車場はいっぱい、来た車を駐車場に案内する人を二人も配置するほどだった。
看板もいろいろあって、人気がある店だと思える。
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旧東海道、京阪「大谷」駅付近

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逢坂山関跡碑横 休憩所兼トイレ

逢坂山関跡と地図で記されたところは、大谷駅から少し歩いたところにある。

その手前にトイレと休憩所があった。

そこには、蝉丸や三条右大臣や清少納言が逢坂山のこと詠んだ歌の石碑があったり、

入口には、大津絵のタイルがあった。

トレイ横の休憩所には、逢坂の関の説明の案内看板があった。f:id:m3785com:20241110133635j:image

この建物は休憩所兼トイレだった。
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案内看板があった。
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トイレの建物横に、蝉丸、三条右大臣、清少納言の歌が書かれた石碑が3つ並んでいた。

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蝉丸

「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」

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三条右大臣 

「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」

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清少納言

「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」

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出入り口

出入り口は二か所あった。テレビで見たことのある関所の雰囲気があった。

入口には車止めがあり、下に大津絵があった。f:id:m3785com:20241110133801j:image
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逢坂山関跡碑

休憩所を出たところに逢坂山関跡碑と常夜灯があった。f:id:m3785com:20241110133638j:image

国道一号線を挟んで、向いの歩道の壁には「蝉丸の歌」と絵が描かれていた。
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国道一号線と逢坂関の休憩所。
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逢坂関(おうさかのせき、歴史的仮名遣:あふさかのせき)は、山城国と近江国の国境となっていた関所。相坂関合坂関会坂関などとも書く。 東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、交通の要となる重要な関であった。その重要性は、弘仁元年(810年)以後には、三関の一つとなっていた事からも見てとれる。なお、残り二関は不破関鈴鹿関であり、平安時代前期までは逢坂関ではなく愛発関が三関の一つであった。 (ウィキペディア「逢坂関」より)

逢坂山関がどこにあったかは定かでないようだ。

ここから離れた長安寺(大津市逢坂二丁目)の前にあったとされる関寺あたりにあったという記述があったり、逢坂小学校に「逢坂山関址」という記念碑があったりする。

実際どこにあったかははっきりしないようだ。

今回訪れた「逢坂山関跡」は、旧滋賀県警察逢坂山検問所跡のあたりのようだ。
昭和7年に建てられた。平成21年に横に「逢坂の関記念公園」が造られた。
これが、先述のトレイと休憩所の事だろうか?。

ウィキペディア「逢坂関」参照。

 

   

 

国道一号線と京阪電車

国道一号線は、蝉丸神社上社から少し歩くと、国道一号線は、京阪電車と並走する。
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JR大津駅南口

大津駅南口はほとんど人がいなかった。

そこには大きなホテルがあった。大津駅地下の南口から直結のホテル。

人の気配がなかった。

前の道路沿いの石の椅子に老夫婦が座っているだけだった。
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JR大津駅南口から直結のホテル。
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JR大津駅南口

駅南側には、駅舎などはなかった。どこから入ればよいのか少し迷った。

地下道への降り口のようなところが南口の入口だった。

 

ルート

JR山科駅とJR大津駅の間を歩いた。