延暦寺 あまり見て回ることができなかったが、根本中堂中改装工事中・中は深淵な感じがした。【滋賀県大津市】20241012

根本中堂

延暦寺の中心的な建物だが、現在改修工事中。

どんな建物だったのか?知らずに拝観した。

後で、入場券を見て、建物感じが分かった。

拝観の時の段差の意味が分かった。

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根本中堂に入る時には、

16時にはすべての建物が閉館すると案内が境内に流れていた。

階段を上がりすぐ降るそしてまた上がるアップダウンがあった。

上の写真を見てその理由がわかった。

 

本堂の柱の部分。朱色にきれいに塗られていた。

入った時、ペンキのにおいがするなと思った。

聞こえてくる説明を聞くと、漆(うるし)を使っているようなので、漆のにおいかな。

 

本堂内は撮影禁止。

お坊さん三人が拝観者たちに説明をしていた。
その周りには人が集まり、説明に聞き入っていた。

 

拝観するところから本尊が祀られているところを覗くことができる窓がいくつかあった。

そこをのぞき込むと、中は薄暗く、本尊の前の床は石張りになって、すごく下にあった。

自分たちがいる所より下にあった。地下室のような感じだった。

目線を少し上げると、本尊の前に1200年続いている不滅の法灯もあった。

 西暦788年(延暦7年)最澄が根本中堂の前身である一乗止観院を建立した際、本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげたのが始まりで[1][2]、一度も消えることなく輝き続けていると伝わっていることから、「不滅の法灯」と呼ばれる。(ウィキペディア「不滅の法灯」より)

今まで、寺院を見て回ったが、こんな感じは初めてだった。

すごく神秘的な感じがした。

ここでは、今までに見たことがない寺の様子を見ることができた。

さすが、日本の多くの仏教の中心だけあると思った。

ずっと見ていたかったが、ずっといるといずれ追い出される。

 

根本中堂の真ん前には、急な石階段がある。

階段の横には、根本中堂の御朱印の授与所があった。

石階段を上がり切ると、そこには文殊楼がある。

延暦寺 文殊楼

  延暦寺の山門。寛文8年(1668年)の火災後の再建。二階建ての門で、階上に文殊菩薩を安置する。根本中堂の真東の丘の上に位置している。そもそもは慈覚大師円仁が唐の五台山・文殊菩薩堂に倣って創建したものである。(ウィキペディア「延暦寺」より)

 

文殊楼の横には

 

根本中堂からの急な階段の反対は、緩やかな階段だったと思う。

根本中堂より少し高い土産物屋さんがあるレベルぐらいまで降りるだけだから、根本中堂との高低差がより少ないからだろう。

なぜか根本中堂が低い場所にあった。

売店や食事をした所より低い所にあった。

何か意味があったのだろうか?

普通なら一番高い所に造ると思う。一番低い所にあるように思えた。

文殊楼前から根本中堂。



三面出世大黒天

回ったのは大国堂

靴を脱いで入って、大黒様の前に正座して線香を供え手を合わせてお参りをした。
寺は、畳の上に座って手を合わせる事ができる所がたくさんある。

正座して手を合わせるのはよい感じだ。

よく行く知恩院では、人が少ない所では、正座して仏様に向かい

 

土産物屋さんの前に「紀貫之御墳墓」への案内の石碑があった。

ここで道が三つに分かれている。

一番左がケーブル駅方面、真ん中が阿弥陀堂・西塔・横川方面、一番右の階段が大講堂や鐘楼。

鐘楼

誰でも撞いてよいようだ。一回100円。

ケーブル延暦寺駅に着いた時から、ずっと鐘楼の鐘の音が聞こえていた。

鐘楼からは

大講堂

大講堂まで、阿弥陀堂や西塔・横川への道とつながった。

 

回れたのは以上。

 

忠恕(ちゅうじょ)令和6年比叡山から発信する言葉

お昼を食べたそば屋さんが入っている建物の壁に、「令和6年比叡山から発信する言葉」があった。

地図