琵琶湖疎水を滋賀県側から見てみた。
滋賀県側は短い。
疎水揚水場からまっすぐ西に京都に向けて流れていく。
第一揚水場につながる水路だから第一疎流というのかな。
琵琶湖就航の碑
揚水場の近くには琵琶湖就航の歌の碑がある。
その碑があるあたりに行こうGoogleマップを頼りに、国道161号線沿いの角を曲がった。
そこには警備員が立ってた。
この先は行き止まりで京都市の所有らしい。
疎水揚水場への水路があるからだろう。
とりあえず行ってみた。
着きあたりに着くまでに、石碑らしいのが見えた。
雑草はぼうぼうで、見過ごしそうだ。
木の陰に隠れて歌詞の石碑があった。
琵琶湖就航の歌って知っている人どれだけいるのかな。
あまり、人が見に来ている感じなかった。
疎水揚水場
疎水揚水場までを、第一疎流というのだろうか?
疎流と橋に書いてあった。
第一があるので、第二疎流もあるのだろう。
第二疎水の揚水場からの疎水は蹴上までずっと地中を流れるようだ。
琵琶湖周航の歌の石碑のあるところの南に第一疎水揚水場への水路があった。
そして、その北にも揚水場への水路があった。
おそらく、その水路の先が第二揚水場ではないだろうか?
ここが第二揚水場かな?
第一疎流 第一琵琶湖疎水揚水場
疎水沿に道がある。
疎流沿に歩いた。
揚水場の反対から。
途中京阪電車の鉄橋がある。
大津閘門
大津閘門が見える橋の横に
水使用標識があった。
許可期限は平成28年3月31日となっていた。
更新協議中とのこと。
協議が整わなかったらどうなるのだろう。
疎水の水が止まるのだろうか?
大津閘門。
第一トンネル入り口 「氣象萬千」
もう一つ上流の橋まで行くと、疎水のトンネル入り口が見える第一トンネル。
次、地上に出てくるのは、山科になる。
トンネルの入り口の上には扁額がある。
「氣象萬千」(きしうばんせん)と書いてある。
意味は「様々に変化あうる風光はすばらしい」。
揮毫者は伊藤博文。
さらに上に上がってトンネル入り口辺りに行ったが、
つづき(第一トンネル山科区側)は↓↓↓
<アクセス>
京阪電車 京阪石山坂本線 「三井寺」下車
京阪電車から乗り換えは
三条京阪から、京都地下鉄東西線・京阪京津線で「びわ湖浜大津」まで行き、坂本比叡山口行きに乗る。(京都地下鉄東西線と京阪京津線は乗り換え不要)
JRから乗り換えは
JR山科からも京阪京津線に乗り換えることができる。
琵琶湖疎水
琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/s[1]を滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。
大津市三保ヶ崎の取水口から、長等山を第1トンネルで抜け、滋賀県から京都府に入る。この第1疏水の京都市山科区の部分を山科運河と称することもある。山科盆地の北辺に沿って西に、諸羽、第2、第3各トンネルを抜け、蹴上に出て第2疏水と合流する。
第2疏水は第1疏水と同じく三保ヶ崎で取水した後、ほぼ全線トンネルと埋立水路(暗渠)となっており、蹴上で第1疏水と合流する。水道水源としての利用にあたり汚染を防ぐための全線暗渠とされる。琵琶湖総合開発計画による水位低下に対応して、第2疏水連絡トンネルが建設された。第2疏水は京都市三大事業の一環として行われ、京都市岡崎にある琵琶湖疏水記念館で資料を確認することが可能。(ウィキペディア「琵琶湖疎水」より)
ただ、疎水の流れを何気なく見ているだけだったが、疎水は、琵琶湖から山側に向かって流れている。川は、山から琵琶湖に流れ込んでいる。流れが逆だった。
そして、琵琶湖から流れて出ている川は、瀬田川の一つだけ。
湖水が流れて行くということから考えると、疎水を入れて二つになる。