散歩と写真(京都・大阪・・)

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合格祈願! 大阪天満宮(天満の天神さん)  2019(31)0202

土曜日午前で仕事が終わり、目的を特に持たずに散歩した。

なにわ筋四ツ橋、御堂筋、堺筋土佐堀通中之島と歩いて、大阪天満宮という経路。青空が広がる気持ちいい天気だった。 

★★★目次★★★

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大阪天満宮

知った時から「天満の天神さん」と呼ばれていた。そう呼んでいた。有名なのは7月17日に執り行われる日本大祭りのひとつ「天神祭」だ。 

空いているかなと思って、参道にでて驚いた。屋台が出ていた。「今日は何かかあっただろうか?」と思いつつ境内に入ってわかった。今は、受験シーズンまっさかり。「合格祈願」の参拝だった。

合格祈願

菅原道真を祭っている。菅原道真の家系は、学者の家系であり、本人も優秀な学者であったことから、「学問の神様」といわれ。それにあやかろうと、受験シーズンになると、受験生やその家族が天満宮に詰めかけ、参拝していた。

参拝して、繁盛亭のある出口を出ようとおもったら、その出口の横に長い行列ができていた。本殿の裏あたり。なんだろうとと、その列を見守るように立っている女性に聞いてみた。

2月2日この日は、大阪大阪天満宮では、「通り抜け参拝」という神事が執り行われる日だった。「試験に合格」=「通り抜け」という意味があるようだ。年に数回といっても主に冬の受験シーズンに、数回しか行われない。この2日の次の2月25日。私立大学の試験がそれまでにあったりすることから、多くの人が行列を作っていたということのようだ。

おそらくその女性も、子供さんが行列の中にいるのだろう。

節分祭

節分の2月3日も大阪天満宮では節分祭があるようだ。豆まきはないようだが、恵方巻を食べる行事はあるようだ。しかも、1000本の恵方巻が配られ、1000人が歳神様の方を向いて、一言もしゃべらずに食べるそうだ。

大阪天満宮も年に色々な行事がある。初詣、合格祈願(&通り抜け参拝)、節分祭、天神祭と。

 

   

干支絵馬

本殿の向かって左に今年の干支の「亥」の絵馬が 飾っていた。参拝を終えて、境内をあるいていると木造の小屋に干支絵馬がかかっていた。よく見ると十二支すべてあり、その年に使われたものだ。

↓右から「卯」「辰」「巳」

↓右から「午」「未」「申」

↓右から「申」「酉」「戌」

↓右から「子」「丑」「寅」

 

   

天満天神繁盛亭

 

 

天満の天神さん

本殿には菅原道真が祀られている。大阪天満宮の「天満の天神さん」と呼ばれる謂れが知りたくなった。天満宮といえば、大宰府天満宮北野天満宮が有名だが、北野天満宮より大阪天満宮が先に建立されている。

なぜ天満の天神というのだろうと気になった。四文字で「天」が2回もあるのはなぜだろうか?

ウィキペディアで調べた。

藤原時平の陰謀によって大臣の地位を追われ、大宰府へ左遷された道真は失意のうちに没した。

彼の死後、すぐに、臣下の味酒安行が道真を天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀った

その後、疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相次いで病死した。

さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)

これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。 清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。

元々京都の北野の地には平安京の西北・天門の鎮めとして火雷神という地主神[3]が祀られており、朝廷はここに北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした御霊信仰も参照のこと)。・・・・

949年には難波京の西北の鎮めとされた大将軍社前に一夜にして七本の松が生えたという話により、勅命により大阪天満宮(天満天神)が建立された。987年には北野天満宮天神」の勅号が下された。また、天満大自在天神、日本太政威徳天などとも呼ばれ、恐ろしい怨霊として恐れられた。

 

 道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり・・・

ウィキペディア天神信仰」より) 

 さらに、「天満」は「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」からきているようだ。