吉水(よしみず) 知恩院・安養寺 法然上人と親鸞聖人の故地 20220409

知恩院のあるあたりは法然上人が教えを広めた当時「吉水(よしみず)」とよばれたあたり。

知恩院御影堂

知恩院の南隣にある吉水草庵は、法然上人が、青蓮院に住んでいた天台宗の慈円の援助を受けて、浄土宗の教えを広めた。

吉川英治氏の「親鸞」では、法然の話を聞きに多くの人が吉水に訪れたというくだりがあった。

知恩院の大鐘楼に上がり、

知恩院大鐘楼

大鐘楼の出口がから出て、少し歩くと、安養寺(吉水草庵)への入り口がある。

安養寺(吉水草庵)

安養寺(吉水草庵)境内地図

平安末期には、法然上人の教えを聞こうと多くの人がこのあたりを通ったのだろうか

   

 

勢至堂

ただ、法然上人が住んでいたのではなさそうだ。

安養寺の御朱印をもらう時に、ご住職と思しき人と話をした時に、法然上人はここに住んでいないと何度も言っていた。

法然上人が承元の法難で土佐・讃岐に島流しになり、京に戻った翌年になくった。

その場所が法然上人の住房があった知恩院の勢至堂付近のようだ。
勢至堂は、知恩院発祥の地ともいえる場所。
至勢堂があるところは、法然上人の住房があったところ。当時の周辺の地名をとって「吉水御坊」「吉水禅房」「大谷禅房」と呼ばれたようだ。

知恩院勢至堂
2019年3月16日撮影

今の勢至堂から安養寺に、教えを広めるために通っていたのだろう。

親鸞聖人もここで法然上人弟子入りした。

吉水(よしみず)

このあたりが「吉水」と呼ばれる由来は、安養寺のすぐ近くに弁天堂(吉水辨財天女堂)があり、そのあたりでは、きれいな水が湧いていたようだ。
それで「吉水」とい呼ばれるようになったようだ。

弁天堂

弁天堂

弁天堂の前あたりは、タクシーが数台留まっていた。人通りはほとんどない。
休憩でもしているのだろうか?
それとも、客待ちかな?
料亭や宿などがこのあたりには、ポツンポツンとある。

この辺りは、開けたか感じもあるが、程よい高さの木々がほどよい距離間で並んでいる。閑静な雰囲気のあるところで、料亭などに向いている雰囲気だった。

 

また、このあたりは、東山大谷ともいうのだろう。近くに大谷祖廟や少し南に大谷本廟と親鸞聖人の浄土真宗の廟がある。

 

 

慈円

法然上人が吉水で教えを広められたのも慈円のバックアップがあってのこと。

慈円は摂政関白の九条兼実の異母弟で、青蓮院門跡で親鸞を得度した。天台宗の座主を4度も務め、著作には「愚管抄」。

青蓮院門跡は、知恩院の北隣にある。
安養寺は、山号を「慈円山」という、時宗のお寺。
法然上人が、承元の法難で島流しになったあと、大打撃を受けた安養寺。この寺を本格的に復興に着手した。そのかいあって、復興を遂げた、慈円は吉水僧正や吉水大師と呼ばれるようになった。山号の「慈円山」は慈円からとられたものである。、
円山公園の名前は「慈円山」の名前から来たようだ。
時宗は、法然上人の浄土宗の一派。

 

安養寺

知恩院の大鐘楼の出口からると、左手には石垣の上の白い壁が続く。その先に安養寺の門がある。少し階段を上がったところに小さな門があり、上にずっと続いていた。
階段の両側は墓所。

安養寺(吉水草庵)

階段を上がると小さな本堂があった。この建物の後ろには座裡というところがある。

安養寺(吉水草庵)本堂

右を見ると、書院。

安養寺(吉水草庵)書院

左を見ると

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ふかえると

安養寺(吉水草庵)本堂前からの眺め

 

本堂には自由に中に入ることができる。

御朱印をもらうために、中に入った。

誰もいなかった。

少し奥にいって「すみません!」と。

間を置いて、「はーい」と聞こえた。

本堂の奥の座裡ということころから、住職かと思う年配の人と後に若い男性がついて、二人出てきた。御朱印が欲しい旨を伝えると、「わかりました」と二人は奥に下がり、しばらくして、年配の人だけが書置きの御朱印に日付を入れて持ってきた。

300円。

御朱印を受け取り、しばらく年配の人のこのお寺の由緒などを聞いた。

 

このお寺の始まりは、平安京の始まりとほぼ同じころ。

延暦年間(782年 - 806年)に最澄がこの真葛ヶ原の北東の地に、桓武天皇の勅命によって開山となり、建てられたと伝える古寺。平安時代には荒廃していたが、付近の青蓮院に住していた天台宗の慈円(慈鎮和尚)の援助を受けた法然が承安5年(1175年)にこの地に住み、吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めた。 (ウィキペディア「安養寺」より)

今の建物は、室町時代のものとのこと。
法然上人・親鸞聖人は、平安時代末期から鎌倉時代初期の人。
この建物は、法然上人のころの建物ではないが、お寺の歴史は長い。

   

 

吉水草案前の風景

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