前回の続き。
数年前に行って気になっていたところに行ってみた。
★目次★★★
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岡山烽火場
山の中腹あたりに、のぼり旗が見えた。
前回は徒歩なので行かなかった。
岡山烽火(のろし)場だった。
今回は電動アシスト自転車なので、その力を借りて行ってみた。
自転車だとちょっとしんどいかもしれな坂を上がって。
上がりきったところに駐車場があった。
そこで、自転車を置いて、徒歩で上がった。
人っ子ひとりいない竹林の道を上がって行った。
上がりきると「金刀比羅神社」があった。
さらに進むと視界が広がる。
のぼりがたくさん立っていた。
ここが岡山(丸山)烽火場
真正面に見えるのが「「松尾山」だろう。小早川秀秋の陣があったところ。
左に視線を移すと、家康が最初に陣を張った「桃配山」があるはず。もっと左の方にあるようだ。確認できなかった。
人っと子ひとりいない。昔は、観光客ではにぎわったのだろうか?
徳川家康最後の陣地
岡山烽火場から降りて、平地を電動アシスト自転車で爽快走った。人も車のほとんどいない。
近く「歴史民俗資料館」がある。
一口メモ電柱巻き看板
道路にある電柱をふと見ると、何か書いてあった。
読むと、家康武将のことなどの一口メモが書いてあった。
とてもユニークだ。
街全体、古戦場の街の装いをしている。
人は歩いていない。車はほとんど通らない。
まだまだあるはず。全部見て回るのも面白いかもしれない。
家康最初の陣地
主戦場だった徳川家康最後の陣地から関ヶ原駅に戻りそこから国道に出て約2knぐらい西へ走った。
家康は、最初はとても後方に陣を構えたものだ。
電動アシスト自転車は楽だ。
ゆるく下って、ゆるく上っていった。
爽快に走った。
さすが国道は、車の通りが多い。
よく見ると、岡山烽火場ののぼりが見える。岡山烽火場からは見えなかったがここからは見えた。上の写真を拡大すると。
家康はいいところに陣地を構えたものだと思った。石田三成の陣地に近い忠実な黒田長政と竹中重門が陣取っている岡山烽火場を見ながら戦局を見ていたのだろう。
どちらも西軍三成が守ろうとしている秀頼の父の秀吉の天下取りに欠かせない参謀。その息子が、東軍で家康のために戦っていた。
桃配山すぐ東には、西軍の毛利秀元と吉川広家が陣取る南宮山があった。
陣取っているだけとはわかっていたとしても、一応西軍。
気になったのだろう。
毛利等が、降ってきたらすぐ東に逃げるという算段もあったにかもしれない。
毛利が動かないと確信できた上で、
東軍が劣勢になると、陣を西に進めたのだろう。
松尾山に陣取る小早川秀秋を鉄砲で脅して、寝返らせ東軍の勝利に関ヶ原の戦いは短時間で決した。
地図でみるより、実際の現地にいって見るととより当時の武将の思いが見えそうだ。
また、来年にも、「青春きっぷ18」でここにきて、三成など西軍の陣を見て回りたい。
関ケ原は大阪からは新快速で十分だ。安くいきたい。
関ケ原
壬申の乱の史跡や関ケ原の史跡を電動アシスト自転車で走って回った。ミンミンゼミやつくつく法師の鳴き声を聞きながら里山の風景の中を、誰にも会わず、通るく車のすくなく、爽快に走った。
ときどき、新幹線の何とも言えない風圧の音が響いてくる。
関ケ原は交通用の要所でもある。名神高速道路や東海道新幹線が所せましと走っている。
新幹線が通過する時の音は、なんといえない爆音のような感じで、そこそこ遠くまで響く。
先日行った瀬田川の唐橋もちょっと離れた下流に新幹線が通っていた。通るたびに爆音のような音が響いていた。
米原駅そば
大阪から到着したホームにだけある。
店の周りにちょっとした板の出っ張りがあって、そこで食べる。
関ヶ原は、東西の文化の境界といっていいかもしれない。
その西側にある米原駅。
前回行った時、同行者が駅そば屋があるのを見て食べればよかったと言っていたのを思い出した。
一本電車を遅らせて、きつねうどんを食べた。
関ケ原が近いので、東西の味の何かがあるかなと思いつつ食べた。
一口ダシを飲んで「濃い」東の味?
昆布ダシのようだから西の味?
うどんは太いからこれは名古屋の味?
駅そばなので、あんまり関係ないと思いつつ食べた。
濃いダシと太いうどんがよくあった感じで、また食べたいと思った。
大阪で食べる薄味のダシのうどんやそばより、こちらの濃い味の方が好きだ。
食べている間も電車が到着してバタバタ降りてきて、小走りに乗り換えホームに向かって行った。
ひとり食べている自分に違和感を感じた。
店員さんは無愛想。
時間が午後3時ごろだったからかもしれないが、なんとなく迷惑そうな感じだった。
下手に愛想がいいより良いと思った。
また来年かな。