関ヶ原もう一つの天下分け目の戦い 壬申の乱  2018.09.02

★★★目次★★★

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再び関ヶ原へ

二年ほど前、関ヶ原にいったことがある。

関ヶ原の戦いの史跡を歩いて見て回った。

関ヶ原は広い、古戦場となると、一ヶ所一ヶ所は、離れている。

十分に見て回れなかった。

帰りに、壬申の乱の史跡もあるのに気づいた。

その時は、壬申の乱には興味なかった。

今回は、壬申の乱の史跡をたどってみよと関ケ原に行った。

前回は、「青春18切符」で行った。

今回も、「青春18切符」で行った。

新大阪から1時間45分、途中米原駅で乗り換え。

今回は、壬申の乱の史跡と前回行けなかったところを行こうと思った。

 

移動はレンタサイクルがいい!

駅前に、「関ヶ原駅前観光交流館 いざ!関ヶ原」で、レンタサイクルを借りることができた。

電動アシストの自転車を借りた。

4時間1,000円

普通のだと500円

電動アシスト自転車はとても楽だった。

平坦なところだけど、坂はある。丘もある。

自転車では無理かと思う坂でも、ズンズンと上がってくれる。

これはとても便利なものだと思った。

楽々だった。

交流館前は、武将に合わせた周遊コースを店頭で紹介していた。

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関ヶ原駅

関ヶ原駅は、古い感の駅。

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壬申の乱

壬申の乱は、天智天皇の死後、天智天皇の息子 大友皇子と天智天皇の弟 大海人皇子の皇位継承の戦い。

叔父甥の戦いと言いたいたいが、大友皇子は大海人皇子の義理の弟でもある。

兄弟喧嘩とも言える。

権力闘争だ。

人望も人脈もあり経験もある大海人皇子が勝利し、天武天皇が即位することになる。

その戦いが「壬申の乱」

 

最初の目的は、不破の関を目指して、駅前観光館でもらった地図を見ながら、フラフラと走った。

不破関跡

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不破関は、古代律令制下三関の一つ。

壬申の乱の乱ときに設置された。

そのほかは

東海道の伊勢鈴鹿関

北陸道の越前愛発関(あらちのせき)

いずれも789年廃止された。

これが、いまでも、西日本と東日本の境になったようだ。

不破関の記念館があった。f:id:m3785com:20180902154903j:image
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壬申の乱の資料が展示されていた。

説明の資料にはイラストが使われて、壬申の乱に関係した人物のイメージしやすくしなってい。駅前でもらった地図にも同じようなイラストを使った説明が載っていた。

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「食の境目・文化の関所和蹔(わざみ)」と言う東西の食や文化の違いの展示もあった。こちらの方がおもしろかった。 

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弘文天皇陵墓候補地

「自害峯の三本杉」

ちっとした山道を上がると、

説明看板があった。次のようなことが書いてあった。途中から抜粋で書いてある内容を書いてみる。

「壬申の乱はこのあたりから始まり、その近江の瀬田で大海人軍は大友軍をやったのです。ここは、自害された大友皇子の頭が葬られていると伝えられ、弘文天皇御陵の候補地です。三本杉がそのしるしとなっています。 関ケ原町」

弘文天皇陵は大津市御陵町にある。
弘文天皇は、天武天皇が編纂を命じた経緯もあってか、天皇としては認められず。
明治になって39代天皇とされたようだ。

井上靖氏の「額田女王」では、大友皇子の亡くなったところを以下のように書いてあった。
「大友皇子は本日午後頃、山前(やまさき)の地で御自刃あそばれました。・・」とあった。

山前はどこだろうか?f:id:m3785com:20180902195047j:image
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上がって行くとf:id:m3785com:20180902195250j:image
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井上神社

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「672年に、ここ藤古川(ふじこがわ)をはさんで西軍の大友皇子(弘文天皇)と東軍の大海人皇子(天武天皇)の天下分け目の戦がありました。この壬申の乱で、大海人皇子が大勝利を収めることができたのは、特に地元美濃出身の兵士らが活躍したからだと言われています。この神社は天武天皇を祭っています。一方右岸にある山中、藤下の八幡神社には、弘文天皇が祭られています。 「関ケ原町」と書かれた案内文があった。

 

 

 

関ヶ原は、まだ蝉が鳴いていた。大阪ではもう蝉は鳴いていない。

しかも、大阪で鳴いている蝉とは違う蝉。みんみん蝉やツクツク法師など。自然豊かなところは、懐かしい蝉がないているものだと思った。