車折神社の嵐山頓宮が渡月橋を渡ったところにある。
朱色が目立った。
車折神社の本社
祭神は清原頼業(きよはらよりなり)生誕:保安3年(1122年)、没年:文治5年閏4月14日(1189年5月30日)
文治5年(1189年)に清原頼業が亡くなると、清原家の領地であった現在地に頼業の廟が設けられ、後に頼業の院号にちなんで宝寿院という寺院が建立された。その後、宝寿院は清原家の菩提寺となり、その境内に頼業を祀る社が建てられた、それが当社の起源である。(ウィキペディア「車折神社」より)
この神社の前に立った最初に目についたのは鮮やかな朱色。
朱色が目立つ神社だと思った。
最寄りのバス停の近くから始まる参道。
入口
芸能の神社でもあることから有名人も参拝しているのだろう。それに倣って、若い人がたくさん参拝に来ていた。
芸能神社
清少納言社
当社の祭神清原頼業公と同族の平安中期の女流文学者清少納言「枕草子」の筆者として著名であるが、その生没年、墓所等定かでないので、清原氏ゆかりの当社に祠(ほこら)を築きその御霊を祀ることにした。
清少納言は、百人一首の清原深養父の家系。ウィキペディアの家系図では、ひ孫にあたる。
清原深養父の歌
「夏の夜は まだ 宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」
境内は南北に長かった。
南から入って、芸能神社、本殿と参拝して、授与所で御朱印を買って、さらに歩くと、北の鳥居が見えた。鳥居を超えて細い道を挟んで嵐電の「車折神社」駅があった。
アクセス
嵐電