売布神社は、兵庫県宝塚市売布山手町にある神社。
最寄り駅は、阪急宝塚線「売布神社」駅。
阪急宝塚線は、「大阪梅田」駅から兵庫県の「宝塚」駅間を結ぶ路線。
「売布神社」駅の前後は有名な寺院の駅。神社近くに両寺院への道標があった。
宝塚側は「清荒神」駅は、「清荒神清澄寺」と呼ばれ、真言三宝宗[1]の総本山の寺院。境内には三宝荒神社もあってこちらの方が著名である。子供の頃よく親に連れて行ってもらった。
大阪側は「中山観音」駅は「中山寺」は真言宗中山寺派の大本山の寺院。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第24番札。安産のお寺。妊婦さんが安産祈願の腹帯を求めるにお参りする。「中山さん」と呼ばれ親しまれている。いつの頃からか、最寄り駅が「中山」から「中山観音」に名前が変わっていた。
両駅とも、阪神エリアではそこそこ知られた神社で、昔から多くの人が参拝され、参道も整備されている。
しかし、有名な両駅に挟まれた「売布神社」駅。
それほど知名度高くない。宝塚線沿線に長く住む人間でさえ、大人になって「売布」が「めふ」と読むのを知ったくらいだ。
どのようなところか、一度は行ってみたいと思った。
行ってわかったが、この神社の総研は、推古天皇18年(610年)の創建と古い。
しかし、駅を降りても向かう人はなく、
清荒神や中山漢音と違い、静かで緑豊かで落ち着く神社だった。
なんとなく気持ちが落ち着いた。
売布神社拝殿
推古天皇18年(610年)の創建と伝える。下照姫神は当地の里人が飢えと寒さで困窮しているのを愁い、稲を植え麻を紡ぎ布を織ることを教え、その後豊かになった里人が下照姫神を祀ったという伝承が残る。米谷村の由来もこの伝承にちなみ、米種(まいたね)か売布谷(めふたに)が転訛したといわれている。
(ウィキぺディア「売布神社」より)
売布神社入り口
駅からの案内がなく、少し道に迷い、正面からではなく、敷地の横からの入り口から入った。
紅葉も進んでいた。
こじんまりしていて、人影もなく静かだった。時折、地元の人か参拝に来ていた。
豊玉神社
白い龍の像があった。
豊玉神社から境内
売布柱の石碑
中世以降、貴布禰神社や貴布禰明神(貴船大明神)と称していたが、元文元年(1736年)、寺社奉行大岡忠相より地誌編纂を命じられた並河誠所の調査によって当社が式内社の売布神社に比定され、以降は売布神社と称するようになった。
(ウィキペディア「売布神社」より)
元文元年(1736年)にこの神社の社号を正すために標石が建てられたようだ。
貴布禰神社や貴布禰明神(貴船大明神)と間違えないためだろうか?ただ、延喜式の名前を使うようにとのことか?
貴布禰神社は近くの兵庫県尼崎市にあるようだ。京都の貴船神社は、貴布禰総本宮とも言うようだ。
御朱印をもらおうと思ったが、社務所と思われるところは閉まっていた。
よく見ると、
御朱印をもらい、300円を賽銭箱にいれた。日付の入ってない御朱印となった。
連絡先が書いてあったので、電話すれば、ちゃんと日付の入った御朱印などを買うことができたのかもしれない。
境内から参道入り口へと逆になってしまった。
横の入り口から入ったので参道を通って帰ることに。
参道の階段
参道の快打の下から。
一の鳥居前の「米谷地車格納所」
このあたりで山車でもでるのだろうか?
10月18日・19日に行われるだんじり祭は八坂神社(宝塚市清荒神)と共催で、米谷東(売布、米谷)、米谷西(清荒神)の2基の地車が宮入りする。
(ウィキペディア「売布神社」より)
一の鳥居
一の鳥居からさらに道は続いていた。
参道入り口近くから、一の鳥居の方を見た。青い空と紅葉し始めの木々の色合いがとてもよかった。
下の写真、いい塩梅でとれたように思う。
この辺りが参道の入り口。
来るとき、Googleマップの経路で歩いていると、売布神社のあるあたりは、住宅地に浮かぶ緑の島のようだった。その緑の島の周り一周する羽目になった。迷う人がいないように。上の写真のポイントをGoogleマップに登録した。
「売布神社」駅で、売布神社への行き方を駅員さんに聞いている人がいた。
やはり案内看板が一切ないので、わかりにくい。地元の産土神のような。