梨木神社と八大神社と梛神社の御朱印を集めると記念御朱印がもらえると言うチラシを梨木神社で見つけた。
チラシにある記念御朱印がもらえる。
梨木神社と八大神社の御朱印を集め、最後の目的地、椥神社へ行った。
これで、3社目の御朱印が集まる。
上の写真にある記念御朱印がもらえた。
梨木神社は京都御苑の東隣。
八大神社は一乗寺。
椥神社は、四条通り沿いにある。
この3社どのような関係があるのかは、わからない。
聞いていてみたが、
ただ単に知り合いということのようだ。
確か、梨木神社は神社本庁から脱退している。
参道を含む敷地をマンション用地として60年の定期借地契約を結んだが、神社本庁から認められず。離脱して単立神社なった。
八大神社も梛神社も神社本庁に含まれているはず。
梛神社へ
梛神社へは、阪急四条大宮駅を出て、西に歩く。
それほど大きな神社ではなかった。
この神社には二社ある。元祇園椥神社と隼神社。
隼神社は後から遷座してきたようだ。
鳥居が四条通り沿いと、南北の通り坊城門通り沿いにあった。
それぞれ、神社の鳥居となっていた。
南北の通り坊城門通り側の鳥居は椥神社。
四条通り側の鳥居は隼神社。
境内では二社並んであった。左が椥神社、右が隼神社
落ち着いた神社だ。
こんなに街中にあっても、神社の境内に入ると、凛とした感じになり。静けさを感じることができる。
四条通り側の方を見て、隼神社の鳥居。
坊城門通りの方向。椥神社の鳥居
ただ、なぜ「元祇園」というのだだろか?が気になった。
社務所で聞くと、もともと兵庫にあった祇園(牛頭天王)さんがいったんこちらに来て、それから八坂神社に移ったということだった。
ウィキペディアでも調べた。
梛神社(なぎじんじゃ)は、京都府京都市中京区壬生にある神社。通称は「元祇園社」。 境内には大正期に遷座した式内大社の隼神社(はやぶさじんじゃ)が鎮座する。 境内北側に御供石があり祇園祭の山鉾巡行の際にこの石の上に神饌を置いて神に供える習わしになっている。もとは下京区万寿寺通烏丸西入ル、御供石町にあったが、1932年にこちらに移された。
社伝では、貞観11年(869年)3月朔日に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という[2][3]。 その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会傘鉾の起源であるとしている[2]。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという[2]。 明治までは小祠であったが、明治7年(1874年)と昭和4年(1929年)の復興により現在の形が整えられたという[2]。
(ウィキペディア「椥神社」より
社務所
社務所の前には、お守りなどがあった。
縁起物が入ったおみくじがあった。
横にある箱に200円を入れて、お守りを買った。
おみくじは「大吉」だった。おみくじは滅多に買わないが、おみくじを買った時は、大抵は末吉や小吉などで、時々凶だった。
大吉は随分前に一度だけあった。
一緒に行った妻も大吉だった。
大吉ばかりかなと疑ってしまう。
「大吉」と一緒に入っていた縁起物は「福銭」だった。
金運がよくなるといいな!
四条通りから筋を見てみると昔ながらの街並みと銭湯の煙突があった。
この神社の横は嵐電が通っていた。