駅は、列車に乗る所。
人とモノのどこかへの出口であり、どこかからの入口でもあった。
自動車が普及して久しく、多くの人は外出する時、鉄道より自動車使うようになった。特に地方ほどその傾向が強い。公共交通が発達していないから仕方ない。近くのスーパーに行くにも自動車。都市では歩いて行ったり自転車で行く距離でも。
物流はトラックが主に主流になった。
駅の役割が徐々になくなっていった。過疎化が進みさらに鉄道を使う人が減った。
それにつれて、列車の本数も減り、不便さが増して、さらに利用者が減るという負のスパイラルに落ち込んでいる。
利用者の少ない駅は、形を変えて無人駅となったり、廃止されたり。
反対に都市部や主要駅では、どこかへ出かける時に通る通過点でなくなり、食事や買い物をする目的地となった。
石生駅
この夏に兵庫県の中部の京都よりにある丹羽市にある石生駅に立ち寄ることがあった。
バスに乗って到着したのは、広いきれないなガラガラのローターリーだった。
駅の入り口は駅舎の真ん中あたりかと思った。そこは喫茶店になっていた。今営業しているかわからない。
駅舎は一見新しそうに見えるが、できたのは平成7年(1995年)。25年前。
近寄ってみると、歳月が感じられる。
駅の入り口は、駅舎の端の跨線橋に上がる階段だった。上がり口の横あたりに「石生駅西口」と描いてある。
駅入り口
この駅、無人駅のように見えるが。
そうではない。
階段の踊り場の事務所がある。そこには、駅員がいて、切符の発券などをしていた。改札業務はしていない。近くの駅から人を派遣しているようだ。誰でも通れる。
踊り場にある駅員がいる切符売り場。
階段の上から切符売り場。
跨線橋の中は途中で壁の色が変わっていた。
西口側は、茶色の板壁で、途中で壁の色が変わり、ホームに降りる階段のある所は、白い壁だった。
壁が白いところは昔からの跨線橋で、板張りのところが西口ができたとき、できたところだろう。
↓跨線橋から
跨線橋を突き当たり階段を降りると、上りホームに降りる。
上りホーム側にも出入り口がある。
石生駅東口。ここはホームと直通していた。
ローカル線によくある造り。
こちらは無人だった。
改札は取り払われていた。
かつては、東口がメインの乗り場だったのだろう。当時を思わせる駅名版がある。
出ると広場があった。かつての駅前ローターリーだろう。ここで、モノが積み下ろしされたり、列車に乗る人、降りた人、迎えを待つ人など、人が行きかい賑わったのかと当時の様子に思いを馳せた。
駅員が待機したと思われる駅舎もあった。
待合室もある。
改札は取り払われ、切符を売る窓口はベニヤ板で封鎖されていた。
広場につながる道は東に進み突き当たり南北の道に行き当たる。昔の駅はこんな感じだったように思う。駅から出て街道などの道路につながる。
静かだった。
スナックのような建物があった。見た目古い造りだった。昼は休んでいるのか?閉店したのだろうか?
向かいには民家。
電車が来る時刻になると、ひとりふたりと人が現れて電車を待っていた。
一時間に一本の電車。
乗り遅れると大変。
跨線橋をバタバタと走り降りてくる人もいた。
電車出ると、後はまた静かになった。