草津宿 52番目 東海道五十三次 2018(30)1223

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草津宿

本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は約78軒あった。

草津宿で、中山道と東海道が合流する。

物流の拠点でもあった。

中山道は木曽の山中を経て関ヶ原を通り琵琶湖に出て、琵琶湖沿いを南下。

東海道は、桑名、四日市、亀山を経て琵琶湖に向けいて西進。

そして、草津で合流(分岐)する。街道の分岐するところを追分と言うようだ。

広重の「東海道五十三次」では五十二番目に宿場。

広重、英泉の「木曽路六十九次」では六十八番目の宿場。

草津の後は、

京に向いては、次は「大津宿」。

その次は、粟田口(九条山)を越えて終点の京都の三条となる。

江戸に向かっては、

中山道は「守山宿」

東海道は「石部宿」

 

 

 

草津宿 追分道標

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この道標のあたりが、中山道と東海道とが合流(分岐)する。

東海道は、琵琶湖に注いでいた旧草津川沿いを通る。追分で方向を90度変え、南の大津・京都へ、または、西の「石部宿」へと向かう。

 

高札場

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追分道標の向かいに高札場がある。

高札場、天井川の旧草津川の下に掘られた隧道の出たところにある。f:id:m3785com:20181223172230j:image

旧草津川隧道

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旧草津川は天井川。今は公園になっている。

今の草津川は、1キロほど南を流れている。

旧草津川の下に掘られた隧道。かつては、この川を渡るのに、堤防を登らないといけないと言う不便を解消するために、明治17年に掘られた。

木曽路六十九次の草津宿の絵は、川(細い川)をわたる旅人の絵だった。

この隧道の出たところが、中山道と東海道の合流(分岐)点となる。隧道を出口を挟んで追分道標と高札場がある。

 

堤防は高く、上がってみた。そこそこ高い。

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↑かつての堤防の隧道の真上あたりから、大津方面に向かう東海道。

↓旧草津川。今は公園になっている。

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草津宿 脇本陣大黒屋跡

隧道を出て、すぐ左手(追分道標向かい)に「草津まちづくり」センター」がある。そのあたりに、脇本陣があったようだ。

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草津宿 本陣

草津宿にあった本陣のひとつが、見ることができる。

田中七兵衛門本陣 副業で材木を取り扱ったことで「木屋本陣」と呼ばれた。

もうひとつの本陣も同性の田中だったので、区別するためもあったようだ。

浅野内匠頭や吉良上野介や土方歳三、徳川慶喜なども泊まったようだ。

現存する本陣としては最大級。1846年に旧姿に復元され、平成8年(1996年)から一般公開されている。

入場料は240円 草津宿街道交流館の入場券付きで、350円。

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草津宿街道交流館

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本陣入場の時に、ここの入場券付きにした。

当時の様子を垣間見ることができる資料が展示してあった。

旅籠で出される朝食と夕食の模型があった。一汁三菜。朝も夜も量的には同じだった。朝食にしては多いが夕食にしては少ない量だった。

ここでは、入場すると白い紙をリーフレットと一緒にもらえる。

この紙で、浮世絵造りの体験ができる。

子供の頃した版画を思い出した。

4色あるの版を、一版づつ刷って重ねて刷って絵になる。やってみたが、なかなかうまくできない。

全ての色がずれてしまった。

 

 お金のことも書いている展示があった。江戸時代のどの時代かはわからないが、おおよその感覚がわかった。

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草津宿の200分の1の模型があり、ビデオも用意していて、草津宿について、わかったような気になった。

 

大門と草津宿江戸口見附 横町道標

追分から京に向かって宿場の端には大門があったようだ。今はもう無い。

↓大門があったあたり。

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江戸の方には、道標がある。

ここが草津宿の端だろう。

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↓旧草津川を渡る橋があった。

家並みも終わり、かつての川の埋め立て工事が進行している。

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橋の下には、濁った水が流れているようだが、水ではなく、砂が一面にひかれている。
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