石山寺 【滋賀県大津市】 20240505

 

東大門

石山寺

石山寺境内図

石山寺内を歩いていると境内図があった。ここで初めて見かけた。

ずいぶん上の辺りだった。

石山寺 境内図

緑の参道

東大門をくぐると、モミジの葉が参道の上まで伸びて、緑の回廊のようになっていた。

このころのモミジの葉の色は魅力的だ。

紅葉の頃も赤く染まったモミジがきれいだろうなと思う。

石山寺

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参道途中に、拝観料を支払うところがあった。

そこを過ぎると、本堂へ上がる階段や、NHK大河ドラマ「光る君へ」の資料館があった。この資料館は別料金。

くぐり岩

資料館の前あたり「くぐり岩」があった。

石山寺 くぐり岩

小さな穴だ。近くまで行ったが、荷物をしょっているので、やめた。

その後、子供たちが、通り抜けていた。

大人でも通り抜けることができる。
石山寺 くぐり岩
石山寺 くぐり岩
石山寺 くぐり岩

手水舎

その横には、手水舎があった。手水舎の向こうに、「くぐり岩」を通り抜けた子供が写っている。

石山寺 手水舎

石山寺 手水舎

本堂への階段。

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階段上がってすぐ。目の前の上に多宝塔が見えた。その下は岩肌見えていた。

石山寺

毘沙門堂

階段を上がって右手にあった毘沙門堂

石山寺毘沙門堂

石山寺の硅灰石(いしやまでらけいかいせき)

多宝塔の下にあった岩肌。

この岩肌という岩肌が見えるようなところにあるお寺だから「石山寺」と名付けられたそうだ。

石山寺の硅灰石(いしやまでらけいかいせき)

石灰岩が花崗岩による熱変成作用をうけると多くの場合、大理石となりますが、一部に珪灰石となるものがあります。石山寺のような雄大な珪灰石は珍しいものです。

本堂横の中庭正面にある大理石と硅灰石で出来た岩のかたまりの中にみは、5ミリメートルから20ミリメートル大の束状の硅灰石の結晶がみられます。境内のいたいるところに露出していることから、石山寺の名前の由来となり、本堂厨子内の勅封本尊如来観音像もこの硅灰石上に鎮座しています。(説明案内看板より)

石山寺の硅灰石(いしやまでらけいかいせき)

石山寺の硅灰石(いしやまでらけいかいせき)碑

経堂横から多宝塔の方。

石山寺の硅灰石(いしやまでらけいかいせき)経堂より

蓮如堂

硅灰石の左横には本堂へ上がる階段があった。岩の塊に造られたお寺なので、階段や登坂下り坂が多い。

その階段の横にある蓮如堂では、神輿が置かれ神事が行われていた。

石山寺 蓮如堂 神輿の神事が行われていた。

石山寺 蓮如堂

本堂

石山寺本堂

石山寺本堂

紫式部源氏の間

本堂には、「紫式部源氏の間」がある。

紫式部を模した人形が置かれていた。

説明によると、

「寛弘年間紫式部この間に参籠して新たに源氏物語を作る 先ず須磨明石の二帖を書く」とあった。

石山寺 紫式部源氏の間

石山寺 紫式部源氏の間

本堂から多宝塔の方へ上がる途中に経堂があった。

 

 

経堂

f石山寺 経堂

経堂の前から下を見ると。
経堂前から石山寺の硅灰石を見下ろす

   

 

多宝塔

f石山寺 多宝塔 現存最古の多宝塔

多宝塔は、下層が方形、上層が円形の平面に宝形造の屋根を乗せた二重の塔です。石山寺多宝塔は源頼朝の建立と伝えられ、建久五年(1194年)の銘がある現存最古の多宝塔です。(「石山寺多宝塔 一棟」説明文より)

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紫式部供養塔と松尾芭蕉 句碑

松尾芭蕉の句は

「源氏の間を見て 曙は まだむらさきに ほととぎす」

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石山寺宝篋印 (いしやまでらほうきょういんとう)

石山寺宝篋印 (いしやまでらほうきょういんとう)

宝塔の西にある二基の宝篋印塔のうち、江戸時代の地誌によると、向かって右が源頼朝、左が亀ヶ谷禅尼( ほうきょういんだらに・頼朝の姫の乳母と伝わる)の供養塔です。宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼を納めた塔で、後には供養塔にも用いられるようになりました。(「石山寺宝篋印塔 一基(いしやまでらほうきょういんとう)」のせつ説明文より)

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多宝塔がある敷地は広く、多宝塔より奥が広くなっていた。

その先に、瀬田川など見下ろせる展望台のようになっていた。

月見堂
石山寺 月見堂
石山寺 月見堂
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月見堂の横からは、琵琶湖から流れ出る瀬田川の流れが見えた。こちらは北の方向なので、月見堂は琵琶湖を背にして月を愛でたのだろう。

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境内周回

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このあたりから下り道。ここまでのように道は整備されておらず、ちょっとしたハイキングコースのような道を降った。
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紫式部像

その途中に紫式部の像があった。
石山寺 紫式部像

さらにに降って、

無憂園

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休憩所
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本堂に上がる階段の下の手水舎に戻ってきた。

境内を一周した。
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そして、本堂へ上がる階段の下に出てきた。

東大門をくぐったのは15時15分頃

東大門から出たのは、16時45分

約1時間半ほどで、見て回った感じだ。全て見れたわけではないので、ゆっくり見て回ると2時間ぐらいはかかるかもしれない。

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地図・アクセス

電車・バス

JR石山駅からバスで約10分

京阪石山坂本線「京阪石山寺」駅より徒歩10分
※大阪京都方面からだと、JR石山駅で京阪石山坂本線乗り換え

 

 

蛇足ながら

京阪坂本石山線の石山駅に着いた時、小さな駅のホームに人がいっぱいだった。

JR琵琶湖線や京都線が止まっていた。

京都駅で不審物が見つかり、JRは京都駅に出入りする電車が停止したようだ。

代替輸送に京阪坂本石山線がなったのかもしれない。

短い編成の電車で十何両もある電車の客を乗せるのは到底無理。

ただ、鉄道で京都に出ようと思えばこの電車しかない。

京都まで出ると、大阪・神戸・名古屋方面への道は開ける。

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京阪石山駅に着いた時は、18時。急いでも仕方ないので、石山駅前の「や台ずし」で夕食をとってJR石山駅にいった。

電車は動き初めていた。

電車は、90分遅れの17時36分の普通で帰った。

運休がなくダイヤ通りでもこの電車で帰ったかもしれない。

遅れたわりに、電車は空いていた。