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太鼓橋(反橋)
住吉大社といえば、「反橋」が有名。
太鼓橋ともいうようだ。大きく、空に弧を描くように膨らんだ朱色の橋。
こんな感じ
かつて大阪湾はこのあたりまであったようだ。池は当時の入江の名残りで、この橋は対岸に渡るための橋と言われている。
お正月の準備中
初詣に向けて、初詣の客向けの屋台の準備で境内はゴタゴタ感があった。そこに、観光客もいた。ほとんど、アジア系外国人のようだ。
あまり写真では伝えることができていない。荷物などを運ぶために、自動車が荷物を運び入れ、テントをかけたり、調理台を設置したり、慌ただしそうだった。
本殿も、おみくじや飾り付けなどこ準備中。
17時ごろのGoogleマップの混雑状況のグラフを見ても、いつもより混雑しているとある。この時間も準備の人が大勢いるのだろう。
本殿
反橋を渡るとすぐ本殿。
手水舎
住吉鳥居と幸寿門
第三本宮(奥)と第四本宮
御祭神
第三本宮 表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)(じんぐうこうこ)
第二本音
御祭神
中筒男命(なかつつのおのみこと)
第一本宮
御祭神
底筒男命(そこつつおのみこと)
第四本宮は第三本宮と並んでいた。
住吉大社の説明看板には
「底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を総称して住吉大神と申し上げます」
後に、航行する船の安全のために神功皇后が御祭神としてまつられるようになった。
元々は住吉三神に奉仕していた巫女が祭られる神に発展し(巫女の神格化)、住吉三神共同の妻神として第四宮が形成され、後世(一説に7世紀以降[10])の神功皇后伝説の形成とともに第四宮に神功皇后の神格が付与されたとする説がある。(ウィキペディア「住吉大社」より)
誕生石
丹後局は源頼朝の寵愛を受けた懐妊したが、北条政子により捕えられ殺害されるところを家臣の本田次郎知親経によって難を逃れ、摂津住吉に至った。こあたりで日が暮れ、雷雨に遭い前後不覚になったが、不思議なことに数多の狐火が灯り、局らを住吉の松原に導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。本田次郎親経が住吉明神に祈るなか局は傍の大石を抱いて男児を出産した。(以下略)誕生石説明看板より)
その時生まれたのが、島津三郎忠久。のちに薩摩・大隅二か国をあてられる。
「住吉社頭の力石は、島津氏発祥とされ・・」と説明書きにもあった。
住吉大社
大阪市南部、上町台地基部西端において大阪湾の方角に西面して鎮座する。海の神である筒男三神と神功皇后を祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社である。古代には遣唐使船にも祀られる国家的な航海守護の神や禊祓の神として、平安時代からは和歌の神として朝廷・貴族からの信仰を集めたほか、江戸時代には広く庶民からも崇敬された。摂津国の一宮として大阪で代表的な神社であるのみならず、旧官幣大社として全国でも代表的な神社の1つである。 社殿は、本殿4棟が「住吉造」と称される古代日本の建築様式で国宝に指定されているほか、幣殿・石舞台・高蔵など多くの建物が国の重要文化財に指定されている。神宝としては、数少ない古代文書の1つである『住吉大社神代記』は国の重要文化財に指定され、木造舞楽面など多数が重要文化財・大阪府指定文化財に指定されている。また伝統的な神事を多く残すことでも知られ、特に御田植神事は全国でも代表的なものとして国の重要無形民俗文化財に指定、夏越大祓神事は大阪府選択無形民俗文化財に選択されている。 (ウィキペディア「住吉大社」より)
その他
一寸法師のお椀
住吉うさぎ
住吉大社の鎮座が辛卯年卯月卯日(卯=兎)に因み、兎が神様のお使いとされているようだ。
おもかる石
願いがかなうかかなわないかを占う石。一度持ち上げて、もう一度持ち上げて重く感じるか軽く感じるかで占うようだ。軽く感じた方が願いがかなうそうだ。
この日は本殿のあたりしか歩かなかった。他の見て回るところがあった。
住吉大社は、七五三で連れていてもらったことがある。住吉大社は「住吉っさん」と親しみをもって呼ばれている。今宮戎神社も「えべっさん」などと呼ばれている。
★交通(Googleマップで検索)
・南海本線「住吉大社駅」から徒歩で3~5分
・南海高野線「住吉東駅」から徒歩で12分
・阪堺線 「住吉鳥居前駅」から徒歩で2分
正月は関係ないかもしれないが、駅までのアクセスは阪堺電軌を使ったほうがいいように思った。天王寺前で乗り換えて「天王寺駅前」駅から阪堺電軌上町線または環状線・南海電車の新今宮駅で乗り換えて、阪堺電軌阪堺線「新今宮」駅からの方が本数が多いように思った。住吉大社前を走る阪堺電軌阪堺線は、頻繁に行き来していた。南海本線は普通電車しか止まらず15分に一本のダイヤだった。