鷹山は
所在地は京都市中京区三条通室町西入ル衣棚町。応仁の乱以前に起源を持ち、「後祭」で大船鉾の直前を巡行した「鬮取らず」の大規模な曳山だったが、文政9年(1826年)に激しい夕立に遭って懸装品を汚損したことを理由に休山していたところ、元治元年(1864年)の禁門の変による大火(どんどん焼け)で御神体と鉦を残して焼失した。この御神体と鉦は「鷹山装飾品」として京都市の有形民俗文化財に指定された。(ウィキペディア「鷹山」より)
前回も紹介したように、前祭の巡行次の日の7月18日の海の日に、三条室町西入ル衣棚町に行った。
すでに「櫓(基本部分)」は組まれていた。
2014年に大船鉾が復活したのを契機に鷹山の復活の動き生まれたようだ。ちまきなどは数年前から販売を始めたりもしたようだ。
ただ一から作るのは大変なので、他の山鉾から部材などを借りたという話もきく。
部材だけでなく他の山鉾からも手伝いが来ていた。放下鉾、南観音山、北観音山のTシャツを着ている人がいた。
石持ち
石持ち(車輪をつけたりする土台のようなものは、放下鉾から借りているようだ。
↓石持ち。
放下鉾から手伝いに来ている人に話を聞いた。この石持ちは放下鉾のものとのこと。重さは400kgぐらいある。少し持ち上げるにも大人数人でかかっていた。
真木(しんぎ)
この日は、真木(しんぎ)を本体付けて、車輪までつける予定とのこと。
↓真木
真木の上は、山だから真松が付く。鉾の時は、鉾頭。
京都市の下京区ホームページに「山鉾」の説明があった。
櫓を倒すための縄を準備
真木の取り付け、真木のある新町通り側に倒して、真木を取り付ける。
そして、反対の室町通り衣棚通り川から引っ張って立ち上げる。
引っ張って櫓(基礎部分)を倒す
「エンヤラヤー」の掛け声で縄を引っ張る。
真木を取り付けて、立て直す。
今まで新町通りの方から撮っていた。今度は反対の室町通り・衣棚通りの方に回った。
真木を取り付けた「櫓(基礎部分)」を立ち上げる。
真木が取り付けられたので、重くなっている。
動画
地図