散歩と写真(京都・大阪・・)

スマホで撮った写真 京都・大阪・和歌山。神社仏閣・史跡



京都散歩 2019(31)0324(1)京都駅→高瀬川(高瀬川舟回し)→源融(河原町院跡)→上徳寺・新善光寺→扇塚→五条坂→六道珍皇寺→つづく 

★★★目次★★★

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 話せば長い話なりそうだ。これだけ色々なところを見て回ったのは初めてかもしれない。これを一気に書こうと思ったが、長い報告書ようになった。 

 熊野若王子神社(目的地)

この日(3月24日)は、少し早く家を出た。と言っても8時すぎ。

朝から日が差して、天気が良さそう。休日に天気がいいのは久しぶり。京都へ行こうと決めた。目的地は熊野若王子神社

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哲学の道の南の終点の突き当たりを山側へ少し上がっていったところにある。京都の熊野三山のひとつ。この神社は、くつろげる。境内の一角に休憩所のような木造りの長テーブルと長椅子がある。そこに灰皿もあり。自販機もある。

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また、参拝する人も少なく。静かだ。昨年言った時、休憩所の長椅子に座って缶コーヒーを飲んでいると山からウグイスの声が聞こえてきた。静かで、なんともいい感じだった。近くには人で混み合う哲学の道と別世界だ。 裏山には桜花苑がある。シーズンに行けば桜がいっぱい咲くだろう。この日は、桜はつぼみばかり。咲き始めている木も何本かあった。

 

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京都へ

京都へは、京阪で行くか、阪急か、JRか、駅に向かいながら考えた。京阪と阪急は確実に座れる上に、目的地に近い。反対にJRの新快速なら絶対に座れない上に目的地が遠い。しかし、JRで行くことにした。新快速でなく、快速に乗れば座れる確率が上がる。時間も、新大阪から淀屋橋や梅田に行く時間を考えると、JRの方が早く京都に着くことができる。JR京都駅からバスに乗るつもりだった。

バスは諦めて歩くことに

京都着く頃には、朝の天気が嘘のように黒い雲が空を占め始めた。

京都駅は、相変わらず人が多い。

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京都タワー
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思った通り、バス停は、すごい行列。乗る気がしない。

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歩くことに決めた。今日はどれだけ歩けるか。時間はかかるが、まだ10時前。2時間歩いても正午前。朝少し早く出ると、歩く気がする。

歩き慣れた道を、ブラブラと歩いた。

歩き始めて、すごい一団と出会った。どれだけ人がいるのかと言うくらい人が列をなして歩いていた。何十メートルも人の列。リュックを背負った老若男女列を見かけた。何かの集いの一団だろうか?関係なく追い越して歩いた。塩小路通りを東へ河原町通りを曲がり北へ、正面通を曲がり東へ高瀬川沿いを北上。 

高瀬川沿(高瀬川船回し場跡)

方広寺の大仏をつくるために、秀吉が、大名に命じて運ばせた資材(石材)を運ぶ船がこのあたり止まっていたのだろうか?f:id:m3785com:20190325194308j:image
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源融(みなもとゆずる)河原町

さらに高瀬川沿いを上がった。五条通の手前に、光源氏のモデルの源融(みなもととおる)河原町院のあったようだ。五条通手前の高瀬川のほとりにこの碑があった。河原町院は、このあたりから北は五条通、南は六条通りか正面通り、東は柳馬場通りあたりまであったようだ。広い敷地だ。
 平安時代高瀬川五条通りもなかった。秀吉の前の五条通は今の松原通り、今の五条通は、六条坊門小路だった。
 邸内は陸奥塩竃を模した庭園を造り、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをしては、その眺めを楽しんだと案内に架かれていた。それにしても贅沢なことをしていたものだと思う。また、源融の子孫に渡辺綱がいる。歴史の教科書ではあまり目にしたことがなかったが、そこそこ歴史上の有名人だ。宇治の平等院もこの人の別荘だったそうだ。この近くに渉成園(枳穀邸)がある。徳川家光東本願寺に寄進したもの。源融と何等かの関係があるようだ。

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五条通(五条口 お土居)

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五条通りに出て、比叡山の方をみると、比叡山がはっきり見えて、見栄えが良かったが、写真にとると、いまいちな感じだ。 
このあたりが、京七口のひとつの五条口になるようだ。

善光寺(浄土宗)

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五条通を西に歩いて、富小路通りを下ると、新善光寺がある。富小路通りは、柳馬場通りの一本東(鴨川より)にある。
 新善光寺には、入れなかった。
このお寺は、善光寺という名前がついているだけあって、長野県の善光寺とは、多少の関係はあるようだ。このお寺の本尊の阿弥陀如来は、創建者である本田善光の子、義助によって善光寺阿弥陀如来像の分身像として造られたもののようだ。当時は違うとところにあったが、その建物も応仁の乱などの戦火で焼失するなどして、点々としたのち、秀吉の命によりこの地に移ったようだ。
 五条通りに戻ることにした。

 

   

 

上徳寺(浄土宗)

上徳寺(じょうとくじ)は、京都市下京区塩竈町にある浄土宗の寺院。山号は、塩竈山(えんそうざん)。通称の「世継地蔵(よつぎじぞう)」で知られ、通称寺の会に属する。(ウィキペディア「上徳寺」より)

五条通りに戻る途中で、「世継ぎ」寺?が目に付いた。先ほどの新善光寺もあたりも、「本塩竃町」である。1,100年ほど前は、このあたりは源融河原町院の敷地の中だったのだろう。地図を見ていると、おそらく、この神社の真ん中あたりを柳馬場通りがとおっていたのはないかとと思う。
 別に世継のことは考える身分ではないが、外から見るといい感じ。参拝した。
 この神社の境内にはかつて現存しないが「塩竃明神」があったといわれている。現在の本堂は、永観堂の祖師堂を移築したもののようだ。

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 扇塚(新善光寺のあったところ)

五条通りに戻り、五条大橋の手前、扇モニュメントがある。

かつてはこのあたりで、御影堂扇が作られていたようだ。御影堂は1284年このあたりに建立された新善光寺の別称とのこと。御影堂扇はこの寺で作られていた。ここに出てくる新善行寺と先ほどの新善光寺別物だろうか?東山にも滋賀県にも新善光寺があるようだ。善光寺に関係のあるお寺が多いのだろう。知恩院通沿いにも「善光寺」というお寺があったような記憶がある。f:id:m3785com:20190325221611j:image

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 かつてこのあたりは、扇職人が多くいたようだ。扇は金額としては刀剣には及ばないが、大切な輸出品だったそうさ。

五条大橋から

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五条坂

五条通りを東山に向かい、五条坂を歩いた。春休み・観光シーズン始まりの頃やはり、人が多い。

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五条坂沿いで発掘調査をしている現場あった。ホテルの予定。一時期は古民家を再生して利用する傾向にあったが、今はまた、新たにホテル建てるようになってきたようだ。また、京都の街並みが変わっていく。

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五条坂を登り、大谷本廟の前の東大路を北に曲がり、脇道へ入った。次は六道珍皇寺

六道珍皇寺臨済宗建仁寺派

春の公開をしている。ここの地獄の絵図やらが気に入っている。絵を見ると色遣いからして今風で、地獄と天国の様子を描いている畳二帖ぐらいの絵が二つ。その他にも、仏像や昔の絵なども展示されている。冥土通いの井戸や黄泉帰りの井戸もある。絵図は撮影できない。撮影は縁側から庭を撮ることだけ。拝観料600円。朱印帳を勧められたが目的地で買おうと思った。

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冥途通いの井戸
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photo.talk-turkey.com

 今回はここまで、まだ、だらだらと歩きました。