散歩(京都・大阪など)

スマホで撮った写真 京都・大阪・和歌山など。



六道珍皇寺 秋の特別公開で「冥土通いの井戸 」と「黄泉がえりの井戸」を見た H290923 追記あり

9月23日と24日「秋の特別公開 寺宝展」で中に入ることができる。

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小野篁(おののたかむら)の「黄泉がえりの井戸」と「冥途通いの井戸」を見ることができる。

カメラで撮影できるのは縁側だけとのことだった。縁側から見えたのは「冥途通いの井戸」だった。テレビでも紹介されている。「歴史ヒストリア」でも見た井戸。

縁側からの写真

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覗くと、テレビで見たような感じだった。井戸を覗き込むと深いところに水がある普通の井戸のようだった。

 

「黄泉かえりの井戸」それからさらに奥に行ったところにある。テレビでも見たことがない。「冥土通いの井戸」の後ろを通って行くと、木造の入り口がある。扉はなかった。そこは、雰囲気が変わる。町家坪庭のような長方形の敷地の中にある。そこに井戸がある。井戸のすぐ向こうに外に出ることができる木造の小さな門にようなのがある。そこはしっかり締められて、中が見えないようなっている。そんなところに「黄泉がえりの井戸」があった。特別なのだろう。ここでは写真を撮ってはいけないので、寺を出てから門の写真を撮った。

 ある本をよむと、小野篁は、六道珍皇寺で地獄へ行き、帰りは嵯峨野にあるお寺に戻ってくるとあった。そのお寺は、廃寺になってしまったようだ。(H29.10.02追記)

さらに、最近になって、「黄泉がえりこ井戸」は今回六道珍皇寺で見たという井戸であるという話もある。

地獄への入り口? 小野篁の井戸があるお寺「六道珍皇寺」【京都】 | 日本珍スポット100景

(H29.10.15)

 いずれが正しいとも言えない。このような論争も、想像力が膨らんで面白い!

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井戸をのぞいて見ると、「冥土通いの井戸」とは違い、水が満ちていて、真ん中に500円玉のサイズほどの太さの管があり、管の中時は小さないライトがあり、その光が水がに反射して、たずっと下までつづているようだった。

おそらく、この井戸は、テレビでも見せないのだろうかな。

 

特別公開なので、普段格子の戸で閉じられている閻魔大王小野篁の像も、格子戸が開かれていて、覗き揉まなくても見れる。

 

小野篁(おののたかむら)

 小野 篁(おの の たかむら)は、平安時代前期の公卿・文人。 参議・小野岑守の長男。官位は従三位・参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。小倉百人一首では参議篁

『令義解』の編纂にも深く関与するなど明法道に明るく、政務能力に優れていた。また、漢詩文では白居易と対比されるなど、平安時代初期の三勅撰漢詩集の時代における屈指の詩人であり、『経国集』『扶桑集』『本朝文粋』『和漢朗詠集』にその作品が伝わっている。また和歌にも秀で、『古今和歌集』(8首)以下の勅撰和歌集に14首が入集している[6]。家集として『野相公集』(5巻)があり、鎌倉時代までは伝わったというが、現在は散逸。 

 非常な母親孝行である一方、金銭には淡白で俸禄を友人に分け与えていたため、家は貧しかったという。危篤の際に子息らに対して、もし自分が死んでも決して他人に知らせずにすぐに葬儀を行うように、と命じたとされる。

代表歌

・わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟(『百人一首』11番)
・泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに(『古今和歌集』) 

 篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が『江談抄』、『今昔物語集』、『元亨釈書』といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての書籍に紹介され[7]、後世の『本朝列仙伝』(田中玄順・編、1867年・刊)など多くの書籍に引用されている。(ウィキペディア小野篁」より)

 
 

 

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