★★★目次★★★
- 宝輪橋 大漸寺(だいぜんじ)
- 法観寺(八坂の塔)
- 高台寺入り口あたり
- ねねの道
- 大谷祖廟・西行庵
- しだれ桜(円山公園)
- 神宮道
- 蹴上インクライン
- 南禅寺
- 長い行列で歩く一団
- 熊野若王子神社にて
- 帰り道
- 白川
- せせらぎの道(川端通)
- 紅しだれ桜並木
- 鴨川
★★★★★★★★
京都駅を出て、フラフラと歩いた。七条を過ぎて五条とやってきた。旧五条通松原通)沿いに、地獄に通い閻魔大王の手伝いをしたと言われる小野篁が地獄に通った井戸のある六道珍皇寺まできた。京都観光はこの辺から色々と有名なところがある。
宝輪橋 大漸寺(だいぜんじ)
六道珍皇寺を出て、松原通りを清水寺の方に向かった。東大路を超えて緩い坂の松原通を歩き、日體寺を過ぎたあたりで、細い路地のような道があった。そこを曲がった。細い歩いていると、法観寺(八坂の塔)が見えてきた。電線がなければいいのにと思った。
さらに歩くと、細い道の上に橋がかかっていた。その下に挑戦的な貼り紙が。人が通る道び上に架る橋で、鉄筋コンクリートの橋では日本で一番古い橋とのこと。大正11年(1922年)に造られた橋。
霊山浄土へ5歩でいけるとあった。
どうも宝林山 大漸寺(ほうりんざん だいぜんじ)の敷地にあるようだ。上がってみたい気になったが、橋にいくには、石段をあがって、お寺の敷地に入らないといけないようだ。勝手入っていいのか?
ちょうど、そこにご住職がいらっしたので、上がってみていいか確認したら、即答で「いいですよ」と言ってくれた。上がってわかった。お寺からお墓に行く橋だった。
お墓参りしている年配の女性とすれ違い、軽く会釈した。その時、その女性は「最近カラスが多いですね。」と自分もお墓参りだと思ったのか親しげに声をかけてきた。「お供え物を置いて帰りはる人がいるからちゃいますか?」と応えた。ちょうどそこへご住職もそばにい来ていた。お墓ではお供え物は持ち帰るのが今一般的だが、置いて帰る人がいるのだろう。それを目当てに、カラスがくる。それを聞いてか、そのあとご住職はお墓をみて回られていた。ひとおり見たので帰ろうと思い、お墓を見て回られているご住職に「ありがとうございました。」と声をかけて大漸寺を後にした。ここからも八坂の塔がよく見えた。
法観寺(八坂の塔)
細い道をさらに進むと、視界が広がったところが法観寺(八坂の塔)。ここは別世界のように人が多い。
法観寺前を通り少し下った庚申寺の前の道を曲がり歩いた。高台寺につづく道に出る。このあたりは、有名なところなので人が多い。
高台寺入り口あたり
ねねの道
ねねの道はまだ円山公園まで続いている。
高台寺の参道横にトイレ喫煙所がある高台寺公園がある。
ずっと進んで、この頃小雨が降ってきた。
大谷祖廟・西行庵
ねねの道は大雲院祇園閣 (銅閣)で突き当たり山側向けてに壁沿いに続く、そしてまた曲がる。ここで、まっすぐ山側に上がる道と分かれる。その道を上がっていくと大谷祖廟の墓地がある。その途中に西行庵があった。ねねの道を行くと、円山公園そして知恩院へと続く。
さらに上がると、大谷祖廟の墓地にたどり着く。ここは東本願寺お墓のあるところ。彼岸の最中、お墓まいり人が多数いた。ここでは、写真は取らなかった。
ここを歩いて行くと、東大谷(大谷祖廟)いけたが。まっすぐ進まずに出て、上がってきた道を下りて、今度はねねの道を円山公園の方に歩いた。ここ始めて気づいた。大谷祖廟への参道があるのを、何度か通ったことはあるはずだが、気づかなかった。東大谷という石碑が建っていた。長い参道。ここは次回にお参りさせるていただくことにした。
しだれ桜(円山公園)
円山公園に向かった。朝晴れていたので。青空の元で枝垂れ桜を見ることができるかと思ったが、残念ながら曇り空となった。少し咲いていた。来週ぐらいは、ある程度見頃のになるかな?
神宮道
さらに足を進めて南門から知恩院に、今日は、お参りをせず、前を通るだけになった。この時11時半ぐらいだった。
前の記事にも書いたが、ここは観光バスが多く来るところ。バス用の駐車場もある。
知恩院の前を通る道の神宮道にまでバスは溢れていた。
神宮道を歩いた。青蓮院門跡のクスノキの横に桜?が咲いていた。曇天なのでスマホのカメラでは、いい色が出ない。
青蓮院門跡入り口にあるクスノキは、元気がないまま。下から見える枝の折れた断面が筒状になっていた。かなり重症かな?このクスノキは入り口にありシンボル的な存在。
蹴上インクライン
青蓮院門跡の前を過ぎて下り坂を降りると三条通り、適当なところで信号を渡りそして適当なところをで右(山側)に曲がると南禅寺の総門があった。普通の道路のポツンとある感じ。そこ過ぎ、無鄰菴の横を歩き交差点に出た。
この交差点は、西から平安神宮の南を疎水沿い来た仁王門通がインクラインにあたり南下し始める交差点。すぐ南にインクラインを渡る白川通との交差点がある。白川通りはインクラインを渡る橋の手前で南禅寺参道との交差点がある。狭い範囲に交差点が集中する。
この周辺にはインクラインや南禅寺、動物園、無鄰菴ほか観光名所が集中している。交通量も多く、このあたりはよく渋滞している。
下の写真が蹴上インクライン渡る橋の上から撮った写真。流れる疎水の水の勢いはすごかった。若い女性たちがスマホに収めていた。
ここから、白川通りを進んでも、南禅寺を通っても目的地に到着する時間は同じ。なら、南禅寺経由でいくことにした。ゆる上り坂の参道を上がった。
南禅寺
参道は観光バスがよく通る。以前に車道を歩いていて、注意されたことがある。境内入り口の門まで行くと、トイレや土産物屋さんがあり、タバコを一服して休憩できる。
ここから一気に進もうか?その前に、南禅寺の山門だけでも見ておくことにした。見ると山門の上に人影が見える。上がるか。今まで、水路閣にばかり気をとられて、あまり気にしたことがなく、上がれるのもなんとなく知っていたが、この日は、ぜひ上がりたい気になった。入場料がいくらか気になった。800円とかならやめようと思った。500円ととても微妙な値段だった。
とても急な階段。大阪城の石段にしろ昔の建造物は急な階段が多い。上がるのも大変だが、降りるのはちょっと慎重になる。
上がるといい見晴らし。石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と言ったとか?
残念なのは、曇天。晴れて欲しかった。
山門上を二周した。そして、急な階段を降りた。手すりもあるが、手すりの下に掴みやすようにロープも張ってあった。
年配の人には登り降りは大変だと思った。
長い行列で歩く一団
山門を降りて、せっかくだから本堂もお参りしようと思った瞬間、京都駅のあたりで見かけた一団の列が、南禅寺本堂の前を曲がり山門めがけて行進してきた。ちょうど山門から本堂続く道の本堂手前で道を遮るように通っていた。本堂に行く道がふさがれている感じだった。さすが、海外の人もこの行列を見て、行列の中を渡って、本堂に参るのにはためらいがあるようだった。自分は気にせず隙間を見つけて、行列を渡った。
そのあとは、この一団の行列の寄り添ううように歩いた。ただ確認したかったのがこの一団が朝京都駅近くで見かけた一団なのか?知りたかった。近くを歩きながら、誰かに聞けないかと思っていると、永観寺についた。
一団は永観寺に入っていた。
残念聞けなったと思って歩いていると、この集団の先頭が永観堂から出てさらに先へと続いていた。
永観堂には拝観せず、敷地内をとってきただけのようだ。これだけの人数だったら、拝観するのも大変だろう。
一団は、鹿ケ谷通と冷泉通が交差するところを曲がり哲学の道へ上がり始めた。
この道で、年配の女性に声をかけることができた。
聴くとやはり、朝京都駅近くで見かけた一団だった。
人数は160人ほど。
すごい!それぞれリュックには、ツアーのシールを貼りそこにはどこから来たかを書いいていた。年配の人、若い人、中年の人などいろいろな年代の男女、そして、大阪の人も遠方の人もいた。
永観堂のことからして、本当に歩くことが目的のようなツアーだと思った。思いは自分も同じだ。共感した。
この一団の終点は銀閣寺のようだ。哲学の道をずっと銀閣寺に向かって進んでいった。
熊野若王子神社にて
熊野若王子神社について、まずお参りした。
ほかに参拝者はいなかった。神社の人が旗を移動させたりしていた。
休憩所に行って、缶ジュースを買って、たばこを一服した。
一服していると、ヒトの気配がした。続けざまに数組の参拝者が境内に入ってきた。
自分も一服して、社務所で朱印帳を買おうと社務所に向かった。
後からきた女性のグループが社務所の前でなにを買おうか品定めしていた。
時間がかかりそうなので、一旦出て、「桜花苑」に向かった。
桜の花は咲いているだろうか?
咲いている木もあったが、
ほとんどがまだこれからだった。
桜花苑を降りて、もう一度神社にもどり朱印帳を買った。
そのあとどうするか?銀閣寺に行くか?帰るか?
もうこのときは13時ごろだった。
帰ることにした。
帰り道
神社を出て、哲学の道を横目に冷泉通を降りて、鹿ケ谷通りの一本下の白川通に出てバスに乗ることにした。
神社では日がさしていたのに、このとき雨粒が一滴、二滴と落ちてきた。
白川通まで降りた。白川通は、やはり渋滞。南禅寺の参道口の複雑な交差点から渋滞しているのだろう。
バス停に着いて、バスの状況を見てみると、バスの到着が遅れていた。その上この渋滞、駅まで時間がかかりそうだ。
雨が降るかもしれないので、待てばいいかもしれないが、待つより、歩いた方がいいかと思い、歩き出した。
白川
白川通を二条通ので曲がり、二条通を歩いて、平安神宮の前を岡崎通で曲がり、仁王門通出た。少し歩くと、白川が仁王門通の横を流れる疎水から分岐して道の下をくぐり南に向けて流れていた。そこ曲がり白川沿いを三条通近くまで歩いた。仁王門通沿いの白川を渡る小さな橋のたもとに「分水界」の碑があった。
せせらぎの道(川端通)
三条通りに出た。あとは、気の向くままに曲がったりまっすぐ行ったりで、鴨川の横を走る川端通に出た。
京阪三条あたりまでは、かつては京阪電車が通っていたようだ。京阪電車が地下化されることで、川端通も延伸されずっと続き、塩小路橋東詰で、伏見稲荷神社の近くをとおり深草まで続く師団街道につながる。かつて京阪電車が通っていた跡ということを記した碑が川端通の横をとおる遊歩道にあった。
紅しだれ桜並木
川端通の鴨川沿いには紅しだれ柳並木がある。咲くころには、ソメイヨシノと違った色合いの桜がとても綺麗だったのを覚えている。ここから四条大橋や鴨川の川床の写真もわりと絵になるかも。
2年前に撮った写真
鴨川
そして、終点四条河原町の近くの四条大橋。ここを通るときは必ず鴨川の写真を撮る。四条大橋から三条大橋までの間は橋がかかっていないので、鴨川と遠くに見える北山の様子が気に入っている。季節によって変わる様子が気に入っている。
これで終わり。長かった。これだけ歩ければ、そこそこ満足。まだ、歩けそうだが、予定があるので帰った。