此花区桜島付近から港区の天保山に渡船で渡った。
天保山の最寄り駅「大阪港」駅より地下鉄で3つ目の駅「九条」駅で降りた。
駅北側の「キララ商店街」を通って安治川の近くまで行った。
商店街が終わった辺りは、かつて「源兵衛渡船」があった。
安治川を横切って、大阪市西区と此花区を結ぶ渡船だ。
天保山渡船より上流にある。
今は、渡船廃止され、川底トンネルになっている。
階段やエレベーターで14m下にある隧道(トンネル)まで、下りするようになっている。
かつては、自動車も通ることができたようだが、排ガスも問題で1977年に閉鎖された。後にスロープをつけて再利用の話もあったが、それもならず。
今は、使われていない。
現在は人と自転車用のエレベーターと階段になっている。
安治川隧道 九条側入り口。
「源兵衛渡船 」の名前は、入り口手前の交差点に残っている。
建物の右は大きなドアが2つある。
ここが、自動車の乗り口だった。
一旦閉鎖後に利用の計画はあったようだが、今は使われていない。
↓自動車の入り口
左にはエレベーター乗り口がある。
利用できるのは、自転車と人。
エレベーターの利用時間は6時から24時。
利用者はというと、次から次へと、人と自転車がエレベーターの前に現れる。乗っていく、上がってきたエレベーターからは人と自転車が降りてくる。
下まで約10秒ほどだった。
エレベーターはひっきりなしに動いていた。
エレベーターの乗り口の横は階段がある。
階段は24時間利用できる。
通路は狭い。長さは80mほど。
今は白い蛍光灯で明るい。
かつては豆球のような照明だったので、薄暗かったようだ。
用心が悪いので、警備の人が常駐していたようだが、今は防犯カメラが設置されて、常駐の警備ではなくなって、年配の管理人のような人がいた。
西九条側。
安治川渡船
安治川は、河川舟運の重要航路で頻繁に運搬船が行き交っていた。さらに、両岸の往来が頻繁であったが、大きな船も通るために橋を架けることができなかったために、多数の渡船があった。
しかし渡船は、運搬船の航路を横切っていくため、渡船の運行は大変だった。
それで、考えられたのが「安治川トンネル(安治川隧道)」だった。
この「隧道(トンネル)」は日本初の沈埋工法によるトンネルである。
1935年11月に着工して1944年9月に竣工した。