京都の街を歩くのは趣味か?息抜き?
そして蛸薬師通りを西に曲がって狭い道を歩いた。通り沿いには大阪で見られない京の町屋を改造した店が何軒もあった。ちょっと広い西洞院通を渡ってさらに西に進むと小川通との角にひっそりと。
本能寺の跡の石碑があった。
気にしなければ見過ごす。
介護施設の敷地の端っこにひっそりとあった。
介護施設の西の油小路沿いにもあった。
光沢のある石なので光が反射して文字がはっきりと読めない。
油小路通を今度は下っていくと。
野口家住宅があった。 京都指定有形文化財に指定されている。呉服屋を営んでいた旧家。
京都には地図で見つけにくいこんな文化財がちょくちょくある。
ただ外から見るだけで中に入れない。
さらに歩いて。
さらに狭い通りを西に
さらに西向かって歩いていると。
前川邸に着いた。
池田騒動はこの前川家で逆さ吊りの拷問を受けた勤王志士古高俊太郎の自白に端を発するようだ。その拷問に使われた縄が今でもあるとのこと。
逆さ吊りにされりゃ自白しちゃう。それにしても、新撰組はひどい拷問をしたものだ。
ここは、民家なので中にはいれないが、土産物を売っているところまではいれる。
別にここでないと買えないわけではないが、京都の日々の行事などが書かれている手帳を買ってしまった。
さらに西へ歩いていくと、壬生寺の北門についた。
門をくぐって右手(写真では左)の壁は貴重ものらしく、壁に近づけないように、柵がしてあった。柵の説明が書いてあった。
有名な柵らしい?。
壬生寺の詳しいことは
さらにふらふらと歩いた。
仏光寺通を今度は東に歩いた。
西洞院通が近くなると東西からの道が緩い下り坂になり西洞院通に至る。西洞院通りより東へはゆるり上りになっていた。
その西洞院通を北に曲がって上がって四条通へ行くのかと考えたが、
綾小路通で曲がり東へ。
一筋目に、なんか面白げな筋があったので曲がった。
この筋は突き当たると右に折れる。
少し行ってすぐ左の折れて四条通りにつながる。
Google MAPで膏薬辻子あるようだが、いくら見ても見当たらなかった。
どうも写真左手の壁の向こうあるようだ。
この筋は、京都の通唄の「釜座通」のようだ。
この通りは、三条ぐらいまでは続いているが、以降四条あたりでは見当たらない。
この町内会の張り紙を見て、釜座の文字があった。
そして、四条烏丸駅で阪急に乗って帰った。
この時期なら、烏丸から乗っても座ることができる。
食い気も色気もなんの味気もないただ歩くだけの散歩だった。
これが好きだ。
難しいややこしいのは苦手。
息抜き以上でも未満でもない。