最近「徒然草」をAmazonのkindleでちょくちょく読んでいる。
「徒然草」と聞いて思い出すのが、「これも仁和寺の法師」というフレーズ。
このフレーズで思い出す話は、法師が念願かなってお参りしたけど、肝心なところを見ずに帰ってきたという話だと思っていた。
これは勘違いだった。
仁和寺
今年一月に「仁和寺」のあたりを歩いた。
朝ちょっと早めに家を出て、JRで京都に出た。
JR山陰線の「花園」駅を下車して、北上。
歩いていると、公園の前にオムロンの発祥地の石碑があった。
「御室(おむろ)」仁和寺に近いから、それで「オムロン」なのだろう。
このあたりは「花園土堂町」もう少し北に上がると「御室」がつく地名になる。
御室(おむろ)は、京都府京都市右京区にある一地名。 宇多天皇(当時期は法皇位)の創建にして真言宗御室派の総本山、門跡寺院でもあるところの、仁和寺の雅称。 加えて、仁和寺一帯を指す地名である。 (ウィキペディア「御室」より)
このあたりにグーグルマップでは、「兼好法師の旧跡」があるようだが、気がづかなかった。
オムロンの発祥地を通り過ぎ、嵐電をこえて北上。
そして仁和寺に
仁和寺二王門
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。 皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。 (ウィキペディア「仁和寺」より)
上記にあるように「仁和寺」は位の高い人のお寺で、庶民からはほど遠い存在だったのかもしれない。
徒然草を読むと、仁和寺の人は、おっちょこちょいのような印象を受ける。
積年の願いかなって、せっか石清水八幡宮に参拝したのに、拝むだけで、拝むのが本分だと、山には上がらず帰ってきた法師の話。
この話は、案内する人が必要だねとという締めになっている。これは自分も実感する。
ネット調べてみると、石清水八幡宮は、山の上のほうに見どころや参拝どころがあるようだ。やはり山の上まで上がらないともったいない話だ。行き当たりばったりの自分もそこまで抜けていはいないとは思っている。
さらに、
おどけて、酔った勢いに足鼎 (アシガナエ)を頭かからかぶり、しまいには顔も突っ込んで、それが抜けなくなって大騒ぎする話。
ここまであほなことをする人は珍しいかなと思う。
「これも仁和寺の法師」で始まるのはこの話。
冒頭の話は勘違いだった。
兼好法師は仁和寺に恨みでもあるのかと思うほど、仁和寺のことを茶化して書いている。
これは、エリートを茶化すような感じなのかもしれない。
二王門をくぐってすぐ左手に、本坊表門があって、そこから仁和寺の「南庭」に入れる。
ただし、有料。
白書院とか黒書院とか宸殿なども見て回った。
金堂
鐘楼
御影堂入口
仁和寺をひとまわりしたあと、北野白梅町駅を目指してあるいた。
以前「七野」で紹介した平野神社と北野天満宮を見て帰った。