壬生寺は、新撰組で有名だ。
自分にとって「壬生」=「新選組」だった。
壬生寺の周辺は新選組関係の店が多くあるように思う。
四条通りから嵐電の踏切を渡りしばらく歩くと、「誠」の赤い旗が見えてきた。
青かと思っていたが、赤だった。
角に旧前川邸があった。本当は、製袋会社?看板があった。
壬生中屯所遺跡(八木家)
壬生寺の入口の横の店に「新鮮組遺蹟」の石碑が。
この奥は有料。店で入場券を購入する。
壬生中屯所遺跡(八木家)
入場料(ガイド・抹茶・中屯所餅付き)(税込)
・大人1,100円・中高生1,100円・小人800
入場料(見学のみ)(税込)
・大人600円・小人300円
この料金は、あとでネットで調べた。
壬生寺
壬生寺は、新選組だけでは、狂言や六斎念仏踊りも有名。
律宗の大本山の寺院。本尊は地蔵菩薩。開山は園城寺(三井寺)の僧快賢。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。塔頭の中院(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第28番札所。 (ウィキペディア「壬生寺」より)
本堂
壬生寺案内図
壬生神社内の一夜天満宮に参ろうと思ってきたが、案内地図にはなかった。
千体仏塔
この塔の石仏は、明治時代に京都の街の都市計画の際市内から集められたもの。
塔の形は日本風ではなく、大陸の雰囲気がある。ミャンマーでよく見かけられる「パゴダ」を模しているようだ。
広々とした境内。
南門
北門の方
建物は「壬生寺会館・一階は壬生寺幼稚園」
壬生寺、狂言でも有名。春秋と狂言の会がある。
2月・壬生狂言「節分」
4月29日~5月5日・大念仏会(春の壬生狂言)
10月7日・秋の壬生狂言崩壊
壬生六斎念仏踊り
お盆の頃には、六斎念仏踊りの奉納が行われる。
8月9日・壬生六斎念仏奉納
8月16日・中堂寺六斎念仏奉納
数種の太鼓や鉦と、篠笛を駆使して、地歌や長唄等に取材した曲を演奏するほか、獅子舞の碁盤乗りといった曲芸的な技も披露するなど、様々な趣向で舞台を構成する。 上演主体は、「壬生六斎念仏講中」という地域の有志者団体である(壬生狂言を行う「壬生大念仏講中」とは別組織)。講衆は揃いの浴衣姿が基本で、出し物によって扮装を変える。
なお、同講中は京都の祇園祭に綾傘鉾の囃子方として参加している。これは、壬生村の者が江戸時代より同鉾に奉仕する慣わしであり、講中に伝わる「祇園囃子」や棒振りの芸もその囃子等を継受したものであるという歴史的経緯を踏まえてのことである。(ウィキペディア「六斎念仏踊り」より)
祇園祭山鉾巡行で綾傘鉾の先頭を舞っている踊りも、六斎念仏踊りなのだろう
石仏
千体仏塔の説明に、境内には室町時代からの地蔵菩薩、阿弥陀如来、大日如来など三千体の石仏があるとあった。
クスノキ
水掛地蔵
三界万霊碑
この塔は寛文二年(1662年)七月に建てられた。仏教で、衆生が生まれて死に、輪廻するといわれる三つの世界(欲界、色界、無色界)にいるすべて中
精霊を供養する塔である。
毎年八月十六日の盂蘭盆会・送り日に水卒塔婆を立てて先祖供養をしている。
左後ろは、水子地蔵である。
阿弥陀堂壬生寺歴史資料室
仏像や・絵画・工芸品などの寺宝と、壬生狂言や、新撰組との関わりの資料が一部展示されているそうだ。
入場料大人300円、小中学高校生100円
京都府観光ガイドに載っていた。
洛陽天満宮二十五社
菅原道真公には興味がある。日本三大怨霊とされながらも、絶大な人気。受験期には、受験生の頼みの神様。
アニメでは、菅原道真公の子孫であることで、抜群に呪術力があるとされるほど。
京都にある天満宮を回ってみようと思っていると、「洛陽天満宮二十五社」順拝と言うのがあるの知った。今までいった天満宮に「洛陽天満宮二十五社」の石碑などがあったのはなんとなく覚えている。その時は、それほど気にしなかった。
いざ、調べてみるとと、今まで参った神社やお寺にも多くあるのがわかった。再度訪問することになるのだろう。
洛陽天満宮二十五社順拝(らくようてんまんぐうにじゅうごしゃじゅんぱい)は、京都に所在する天満宮の中から、特に菅原道真にゆかりの深い25社を順拝する風習である。時代によって含まれる神社が異なるが、本稿では菅原道真没後950年にあたる嘉永5年(1852年)に書された25社[1]を示す。(ウィキペディア「洛陽天満宮二十五社」より)
ウィキペディアの「洛陽天満宮二十五社」のリストを参考に回ることにした。
一夜天神堂・洛陽天満宮二十五社・第4番
境内案内地図になかったので、どこにあるのだろうかと思い、社務所で御朱印を購入時に聞いた。
先ほど入ってきた門のすぐ横にあるとのことだった。
行くと、門を入ってすぐ右手にあったが、本当に門を入ってすぐだった。
上記案内看板には以下のように書かれていた。一部抜粋。
その昔、菅原道真公が筑紫へ流罪に処せられた時、この壬生の地に親戚を訪ね、一夜を明かし、別れを惜しまれたという伝説がある。
江戸時代の前期、壬生寺の支院・寂静庵(じゃくじょうあん)の開基、託願上人の枕元に道真公が立たれ、壬生の地に道真公を祀るように告命されたという。そこで、上人は、神像を刻み御社を建立して「一夜天神」(いちやてんじん)と名付けられた。
<略>
一夜天神は「一夜にして知恵を授かる」として、学業上達のご利益を伝え、一夜天神の御影を「一夜天神守」として授与している。また、一夜天神の向かって左には、六所明神、同じく右には、金毘羅大権現が合祀されている。六所明神は壬生寺の鎮守、金毘羅大権現は伽藍守護の神である。
ちゃんと「撫牛」もあった。
アクセス・地図
壬生寺へは、阪急大宮駅から四条通を西に歩いて、二つ目の2つ目の信号を左に曲がる。2つ目の信号の南西角に「椥神社・隼神社」がある。坊城通を南に歩く。