- 日本最古の神社の・・
- 宇治上神社と宇治神社の祭神
- 宇治上神社・「宇治上神社の神様のお話」
- 宇治上神社
- 宇治神社
- 宇治上神社と宇治神社は対をなす。
- 「うじ」と言う名前
- 「兎道」⇒「うじ」⇒「宇治」
- 地図・アクセス
日本最古の神社の・・
以前宇治に行った時、宇治神社の前を通り、参拝しなかったが、後で、最古の神社と何かで見たが、神社ではなく、宇治上神社の建物が日本最古、国宝にしてされている。本殿は1060年(康平3年)、拝殿は1215年(建保3年)頃と推定される。
↓宇治上神社本殿
不思議なのは、宇治上神社に隣接して宇治神社がある。
名前がよく似ていて隣接してあるが別の神社。
どちらも訪れる人が絶えない人気のある神社。
それもそのはず、元々両社は明治までひとつで「宇治離宮明神」だったようだ。
明治時代に、分けられたそうだ。
通常は、宇治川沿いから宇治神社と宇治上神社と参拝するのだろうが、
この日は大吉山から参ったので、宇治上神社、宇治神社へと参拝した。
参道の入り口を最後に通って出ることになった。
宇治上神社と宇治神社の祭神
宇治上神社
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
応神天皇
仁徳天皇
宇治神社
菟道稚郎子
宇治神社二座と言われているそうだ。一座は、菟道稚郎子だが、もう一座は、
父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売と諸説あるようだ。
元は同じ神社でありながら、祭神が少し違うのは、気になる。
応神天皇のお母さんは神功皇后。仁徳天皇と菟道稚郎子は、孫にあたる。
応神天皇の皇子に継体天皇の
宇治上神社・「宇治上神社の神様のお話」
応神天皇の末の皇子様であられる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は幼いころから多く学ばれて色々な事柄に精通され博識で聡明なお方でしたので父君の応神天皇より愛され慈しまれて皇太子(お世継ぎ)となられたのですが、応神天皇が亡くなられると、菟道稚郎子は兄君であられる大鷦鷯尊(おおさぎきのみこと)(後の仁徳天皇)に天皇の位を譲られ、現在の宇治の地に離宮を建てられて、その身を引かれました。しかし、兄君も『皇位の事は先帝の定め給うところ、今如何に軽々しく之を変える事得んや、且弟の命衆望あり速やかに位につかるべし』「皇位の事は(菟道稚郎子が皇位を継ぐ事)は先の天皇(お父上)の定められた事、軽々しく変える事などできません。それに、弟(菟道稚郎子)は国民に慕われております。一刻も早く皇位について(天皇になって)下さい」とおっしゃられてご兄弟が皇位を譲り合われたまま三年がすぎました。国民たちはとまどい、世の中も乱れ始めました。ご自身のせいで世の中が乱れる様をご覧になられた菟道稚郎子は、たいそう悲しまれ、心痛められて『久しく生きて天下煩わさむ』「このまま私が生きていては、世の中が乱れるばかりだ」と自ら命を絶たれて兄君がを皇位に即(つ)かせられたのです。
仁徳天皇が弟の死を悼んで、この神社を立てたとのことだった。
なぜ、菟道稚郎子は、皇位をそこまで拒んだのだろうかとも思う。
当時は治世がとても大変だったのだろうか。菟道稚郎子は自分よりその時代をうまく治めることができるのは兄しかいないと思ったのだろうか。
皇位についた仁徳天皇の墓と思われる大きな古墳が大阪府堺市にある。これが、仁徳天皇のものだとすると、兄の治世はうまくいったということだろう。
弟の思いは果たしたことになるかと思う。
宇治上神社
普通は宇治川沿いの宇治神社の鳥居から本殿を参拝し、横の出口からで少し上がって宇治上上神社の鳥居を潜って、宇治上神社へ行ルートだろう。この日はその真逆となった。
宇治上神社鳥居と入り口。宇治上神社に参った後この鳥居をくぐった。
拝殿
けやき
拝殿から本殿に向かうと大きな木あった。けやきの木。宇治市名木百選に選ばれている。
本殿
宇治神社
こ鳥居は、宇治川沿にあった。近くに観光名所が多くあり、人通りが多い。
数年前に来た時は、この前を通ったが、鳥居をくぐらず帰った。
宇治上神社から降りて来ると、駐車場の入り口らしきと開口部があった。その先は広い敷地が広がっていた。
ここが宇治神社かな?駐車場入り口を思わせる広場の入り口に置いてあるカラーコーンを見ると「宇治神社」と書かれていた。
ここが宇治神社入り口かと境内に入った。
本殿
本殿前鳥居
拝殿
お守りやお札は、本殿の横に授与所がある。御朱印等は、先ほどの入口あたりにあった。常時人がいるわけではないので、呼び鈴を押して、御朱印をお願いすることになる。これだけ人がくるのだから、常時人を待機させていてものいいかと思った。
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- 宇治神社
- 宇治上神社と宇治神社は対をなす。
- 「うじ」と言う名前
- 「兎道」⇒「うじ」⇒「宇治」
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宇治上神社と宇治神社は対をなす。
似た名前で、別の神社というのがわかる気がする。
雰囲気が違う。
宇治上神社で、宇治神社と宇治上神社とどう違うのか聞いてみた。
両神社は「対をなしています」というような説明だった。
どう対をなすのか、しっくこない。
「対をなす」とは、
「ふたつのものが対極的・対照的であるとして対比される」こと、あるいは、「ふたつのものが揃って一組のものとして扱われること」
ここで言われる「対をなす」は、後者の「ふたつのものが揃って一組のものとして扱われること」のようだ。
「対をなす」と聞くと、上記の前者のように思ってしまう。
「うじ」と言う名前
宇治上神社・宇治神社は神社の名前の通り「京都府宇治市」にある。
宇治とつく地名は他にもある。伊勢神宮の内宮は伊勢市宇治館町にある。最寄り駅は「宇治山田」駅。
「宇治」は「うじ」、元は「兎道」だったという説がある。
宇治上神社の祭神のひとり、菟道稚郎子命と関わりがありそうだ。
「うじ」が「兎道」に由来する説はいいにしても。
なぜ「兎道」が「宇治」になったがのだろう。
「兎道」⇒「うじ」⇒「宇治」
どうも「宇治」という文字がひっかった。
色々調べてみたが、どうもしっくりくる答えがない。
大吉山展望台から見た景色を思い出した。
大吉山の展望台から、見える風景は、ずっと平地が続き、遠くに六甲山や北摂の天王山・石清水八幡宮のある男山が遠くに見える。
宇治は東を山を背に西に開けた土地。
昔は、今のように住宅やビルなどの高い建物もなく、山を背に西側は、一面田畑や野の広がる土地だったのではないかと思う。大きな空が広がったっていたのではないかと思う。
昔は、目の前に「巨椋池」が広がっていたのだろう。
三方を山に囲まれる京都市・平安京より広がりのある土地だったかもしれない。宇治川が流れ、巨椋池があり、少し先には、桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水が豊かな土地でもあっただろう。
平安京から宇治にやってきた貴族は、広がりのある見晴らしのよい景色を見て、宇治に別荘を構えるようにしたのかもしれない。
そこで、大きな家がたくさん建てられたかもしれない。
「宇治」の「宇」は「宇宙」の「宇」。
「宇」という字は、weblio辞書によると
1 大きい屋根で覆った家。また、家を覆うひさし。のき。「屋宇・殿宇・堂宇・眉宇(びう)・廟宇(びょうう)」
2 大空に覆われた世界。天下。「宇内(うだい)・宇宙/海宇・御宇(ぎょう)」
3 器量。度量。「気宇」
宇治の景色を見て、
大空に覆われた土地で、平安京の皆にあって、貴族が住まう南の端として、庇とみなし、「宇」という文字が使われるようになとは思えないかな。
平和の地という意味で、「治」で。
「宇治」になったのかと想像してみた。
ちょっと、苦しいところもあるが、当時の宇治の様子を想像すると、そんな感じもする。
流れ豊かな宇治川の流れが、周辺の田をたくさんの水を満たし、田の間を通る畔が兎の通り道のように狭かったとも想像できる。
勝手な想像だが、自然の力に今ほど逆らうことができなかった時代、自然の風景が地名に反映してもいいかと思う。
地図・アクセス
宇治神社へのアクセス
・京阪宇治線 宇治駅 徒歩約9分
・ JR奈良線 宇治駅 徒歩約15分
・京阪バス 京阪宇治停留所 徒歩約8分
・京滋バイパス 宇治東IC 車で約5分