文子天満宮 洛陽天満宮二十五社巡拝の二十一番 天神信仰の発祥の地・北野天満宮の前身【京都市下京区】 20231104

京都市内で少しだけ存在する六条通の間之町通りとの交差点を南下してしばらく歩くと

「文子天満宮」の看板が見えてくる。

実際は、間之町通りを六条通り(南から北にむかって)に向かって歩いた。

なかなか六条通りが残っているところが珍しいので、六条通りからの道順を書いてみた。

下の写真は南から

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文子天満宮

文子天満宮の「文子」は「ふみこ」ではなく「あやこ」。

女性の名前だが案内を読むと「北野天満宮」の前身と伝えられているとのこと。

この話は、京都の本で読んだことがある。

洛陽天満宮二十五社巡拝の二十一番

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案内看板によると、菅原道真公が大宰府に左遷されて59歳で亡くなった後、

道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真公の託宣(おつげ)を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったといわれている。

これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、または北野天満宮の前身と伝えられている。

<略>

現在の社殿は、大正七年(1918年)に造営されたものである。

「京都魔界案内」に文子天満宮にまつわる話の中で以下のようなことが書かれていた。

当時は、「託宣」によって怨霊の物語=歴史が作り出されていたということである。つまり、怨霊が天満宮を作ったのだ。

 

 

   

 

鳥居

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「天神信仰発祥の神社」の石碑。

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鳥居をくぐり本殿前一帯はトタンの屋根が設けられていた。

本殿
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本殿に向かって右に「文子託宣の像」がある。

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案内文は先ほどとほぼ同じだが、最後の方に、

多治比の文子により菅原道真公をわが国一番最初に天神様として信仰の対象におまつり申し上げた次第から天神信仰発祥の神社と言われる由縁であります。

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手水舎
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牛もちゃんといた。

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