千本商店街 ユニークなイラスト看板 千本通りの歴史を語る。20230827【京都市上京区】

千本通り

千本通りには興味を持っている。

北は「鷹峯」から南は鳥羽街道を含めて「淀」まで続く。

長い通り、わりと史跡などがある通り、歩くと通りの表情が変わる面白い通りだ。

以前、「淀」から城南宮まで歩いたことがある。

今回紹介する千本通りの表情とは全く違った。

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千本通りはかつて朱雀大路の跡を通る。JR京都駅のある八条を過ぎたあたりから、JR山陰線沿いを北上し、島原・卸売市場の横を通り、そして、JR二条駅に。JR二条駅を北に千本通りを歩くと、朱雀門跡がある。

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さらに北に歩くと、千本丸太町交差点に。

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千本丸太町交差点には、朝堂院跡の看板や大極殿の看板があった。

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イラスト案内看板 千本通りは時代時代に色々な歴史のある通り

千本丸太町交差点で見つけたイラスト入りの案内看板。

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この看板は千本通沿いに千本丸太町交差点から

上長者町通までの間に8枚ある。

とてもユニークで面白い看板だ。

どこが設置した看板か、京都市に聞いたしたが分からず。看板をよく見ると通り沿いの店を紹介していた。

商店街の看板だった。

この通り沿いは商店街のようだ。

商店街はずっと続くようだが、途中切れ目がある。

この商店街は上長者町通で商店街の区切りがあるようだ。

かつては「千本繁盛商店」と言う名前だったとか。

千本通りは、愛宕山や北野天満宮の参詣客目当ての茶屋が立ち並んでいたようだ。

すれ違う女性にに髪の油の香がふと匂ってくるほど狭く、人通りが多かったそうだ。

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千本通りは、京都の通りの唄では一番最後にてきて「果ては西陣」と言われていた端-っこにある通りだと思っていたが、人通りが多かったようだ。

ただそれも江戸時代になってからだろう。

千本通りは葬送の地への道で、この先には葬送地船岡山や京都七野のひとつ蓮台野がある。多くの人がこの道を亡くなった人を運んだにだろう。沢山の卒塔婆が建てられ、それが名前のゆわれになった。千本卒塔婆が並ぶ通りと言うことで。しかし、江戸時代には、愛宕山や北野天満宮への参拝客が増えて、繁華街になったようだ。

千本通りの歴史を紹介しているのがこれらこ看板だと思う。

その1 千本路線物語

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千本馬の背

千本通りは千本の馬の背と言われる馬の背のように道路の中央が盛り上った道が丸太町から今出川まだ続いたそうだ。これはアスファルトで線路を埋めた結果のようだ。

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千本通りには昭和7年から昭和47年までの間、路面電車が走っていた。カバンの地図を見ると、千本三条から千本北大路まで千本通りを通っていたようだ。

時計台

↓千本中立売交差点には、時計台があった。すき家の上。この交差点で千本線と北野線が交差していたのだろう。

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東西に通る中立売通りは、南北の通りの千本通りとの交差点から「北野商店街」になる。この商店街を道なりに行くと北野天満宮の正面に出る。北野天満宮への参道と言える。
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中立売通りを東にまっすぐ行くと、京都御苑の中立売御門に行き当たる。京都御苑に中立売休憩所がある。京都御苑内を進むと京都御所がある。

大文字焼きが見える

千本通りから上長者町通りを東を見ると、馬の背と言われた千本通り東には道が降って行く。広くない通り沿いには民家立ち並ぶ、その上長者町通りの向こうに、大文字山が見え。千本上長者町からは、電線がなければはっきり見えるのだろう。しかし、夜に見える8月16日の五山送り火では大の文字がよく見えそうだ。

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その2 日本の映画は千本から始まった!?

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日活の映画館が、千本通りより西にあった。今でも営業している。日活は、石原裕次郎・宍戸錠・浅丘ルリ子さんなど今でも名前が知られる有名スターを起用した映画を作った会社。それが1971年ごろから成人映画を中心配給するようになった。

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その他にも沢山映画館があったようだ。

映画館の跡を探してみようと思ったが、またの機会ということにした。

その3 出水七不思議 その1

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その4出水七不思議 その2

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③と④の出水七不思議にあるお寺を回って、写真も一応撮った。長くなるので、別の機会でということで。

その5出水の名水と酒

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この看板は探した。

千本丸太町交差点から、その8、その7と北に進むにつれ数字が小さくなると思ったが。

その8、その7、その6と見て、次はと言うと、その4の出水の七不思議だった。その5はどこかウロウロした。一旦、そのその1まで行って後で探そうと歩いていると、その3の次にあった。なぜ?かと思った。後から設置したものなのだろうか?

 

その6 内裏跡と源氏物語

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千本通りは、前述の通り、とても長い。今の千本通りは鳥羽街道も含めて京阪電車「淀」近くまで続く。

九条あたりから二条あたりまでは、朱雀大路の跡を通っている。

朱雀門跡もある。朱雀門跡以北一条通りまでは、かつての大内裏の範囲。

内裏があったあたりの街の各所に、平安京跡案内看板や碑が立っている。ちょうど源氏物語の時代と重なるようで、「源氏物語ゆかりの地」となっている。

 

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その7千本とちょっと恐い話

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千本通りを中立売、今出川と上がっていと、船岡山の横の上品蓮台寺がある。船岡山の西のあたりとが蓮台野。

蓮台野は、葬送の場であり、処刑場でもあった。多くの人が、亡くなった人を運んで蓮台野あたりに運んだ。通り沿いには卒塔婆がずらっと建てられ、千本通りの名前の由来となる様相だった。千本通りの少し西には、宴の松原と言う空き地があった天皇の代替わりの時に、新しい天皇の内裏の用地とでも思っていたのだろう広い敷地があった。ついには使われることなかった。これが当時の心霊スポットになったようだ。

千本丸太町交差点から南東方向にある二条公園に鵺大明神がある。

その8平安神宮と千本の関係

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千本丸太町に平安神宮があったら、京都の街の容姿は大きく違っただろう。千本丸太町交差点に平安神宮の大きな鳥居があり、それより北は、商店街も何もかも取り払ってしまい紫宸殿が再現されていたかもしれない。

今日のように跡形もない平安宮跡を散策することもできなかったかもしれない。

 

 地図千本商店街イラスト看板地図・アクセス

公共交通機関でのアクセスは、鉄道の最寄り駅は、JR山陰線「二条」駅。
二条駅から歩いて約12分程度。

阪急電鉄の「大宮」駅・「烏丸」駅・「河原町」駅からも市バスで行くことができる。

JR 京都駅からも市バスがある。

この街を歩いてみては!?

平安京の大内裏そして内裏、今はその面影もないが、史跡巡りとして街中を歩いてみてはどうだろうか?

このあたりの街並みも、レトロ感があって、ここ何回かに渡って紹介した以外にもまだまだ史跡がある。史跡を探しながら、京都の街の雰囲気を感じつつ歩けると思う。