菅原道真が太宰府に流され京都から船で向かっていた。
今の大阪市東淀川区西淡路あたりにたどりついたそうだ。
当時このあたりは、千里山のあたりまで海だった。
当然このあたりも海で、島がいくつかあったのだろう。
その島のひとつにたどりついた時、
菅原道真はこの島を淡路島と間違て上陸したそうだ。
それでこの辺の地名を淡路と言われるようになったとか。
そこに立つ菅原天満宮。
このあたりの町の名前も菅原。
菅原天満宮については、
ウィキペディアにはそのようなことは書かれていない。
阪急電車の沿線紹介にこのようなことが書かれていた。
この天満宮は、住宅地の真ん中にある。
大きな楠が目印。近くまで行くと、大きな楠が住宅地の屋根の上に見えてくる。
天満宮さんなので、「なで牛」は必ずある。
そして「梅」も、湯島天神の白梅
石の横にあるのが、白梅「高橋」。大阪府天満宮より拝領と海底あった。
境内。あまり広い境内ではないが、大きなクスノキが境内を覆うように、枝を広げ、街中にあっても、なんとなく気分が落ち着く。
もう一か所、鳥居があった。
石垣の土台の上にある。
社務所は閉まっていて、用がある場合は、横の幼稚園にと書かれていた。
この神社は、横にある幼稚園が管理しているようだ。