一乗寺下り松
宮本武蔵を若い人はどれだけ知っているだろうか?
宮本武蔵は
江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。
その武蔵が、剣術の名門吉岡一門と戦うこととなる。(ウィキペディア「宮本武蔵」より)
50歳台60歳台以上の人は、よく知っていると思う。吉川英治氏の「宮本武蔵」は有名だ。この小説は、1935年8月23日から1939年7月11日まで、朝日新聞に連載された。
子供のころには、テレビドラマを見た。最近では、2003年にはNHK大河で「武蔵 MUSASHI」が放送されたようだ。自分が見たのは1975年のフジテレビ系列の「宮本武蔵」。
武蔵を演じたのは、十二代目市川團十郎さん。市川海老蔵さんのお父さん。
この時の武蔵はかっこよかったように記憶している。特に一条下り松の決闘のシーンは、うっすらだが、覚えている。
武蔵はひとりでどのように戦うのか、楽しみにして見た。
先に到着した吉岡一門を焦らし、突然武蔵はどこからともなく現れ、門徒を数人倒し、後は、野原を駆け回りながら、木に登ったりしながら、門徒を倒して行ったように覚えている。ひとりで大勢に立ち向かいやっつけるシーンは爽快だった。
その一乗寺下松の碑が、大八神社の参道の鳥居の手前の住宅街にあった。
↓八代神社参道の鳥居
決闘はこのあたりであったのだろうか?
石碑の両側に松の木があったが、黒松だった。
石碑はくろずんで読めなかった。
少し、画像処理をすると文字が出てきた。
「宮本 吉川 決闘之地」と書かれていた。
その松の古株が八大神社に保存されている。
八大神社の本殿の前には宮本武蔵と一本松の古木展示されていた。
八大神社
宮本武蔵が吉岡一門との決闘の前に八大神社に立ち寄り、祈ろうとしたが、思い直し、祈らなかった。
自らの壁書である「独行道」にある
「我神仏を尊んで神仏を恃まじず」という言葉が
ふと浮かんでそれに従ったようだ。
とても強い人だった。自分には真似ができない。
緩い坂を上がった。そして、八大神社のものと思われる朱色の建物らしきものが見えたころ、坂が急になった。上がりきる手前に「詩仙堂」の看板が目についた。
詩仙堂はこんな所にあったのか?この日は、時間があれば、詩仙堂まで足を延ばそうかと思っていたが、こんなに近いとは思ってもみなかった。
八大神社
いろいろな御朱印がある。
この神社に行こうと思ったは、梨木神社でもらった「京都こだわり御朱印三社めぐり」チラシに八大神社の名前が載っていたからだ。
八大神社で二社目、あと一社「椥(なぎ)神社」に行けば、「記念御朱印」をもらうことができる。
鳥居をくぐって、木漏れ日がいい感じにさしていた。隣は詩仙堂だろう。
宮本武蔵は映画にもなったのだろう。ポスター掲示してあった。
他にも季節ごとの催事の写真が紹介されていた。
社務所ここで御朱印を買った。
宮本武蔵像
御神木(松ではなかった)
御神木の向いの社務所の横に、喫煙所があった。ここでひと休憩した。
御神木の横の階段を上がると・・・
稲荷社があって、さらに進むと、先ほど上がってきた道に出た。
この日は、この先を右に曲がり「狸谷山不動院」に向かった。