急に寒くなってきた。紅葉のシーズンはもう終わりだろうか?
先週京都に行って散歩して、散歩しながら撮った写真。
三条・駅伝発祥の地
京阪三条駅を出ると、「駅伝発祥の地」の碑ががある。
遷都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が、大正六年(1917年)四月二十七日・二十八日・二十九日の三日間にわたり開催された。スタートは、ここ京都・三条大橋、ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会場正面玄関であった。(駅伝発祥の地碑 「駅伝の歴史ここに始まる」より)
三条大橋
仁王門通り
白川(仁王通り)
モミジ(疎水沿いの仁王通り歩道)
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白河院並びに法勝寺跡
白河院は、もと藤原良房の別荘 白河であり、藤原氏北家によりって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇(1053-1129)に献上され、承保二年(1075年)白河天皇によってこの地に法勝寺が建立された。(「白河院並びに法勝寺跡」 駒札より抜粋)
駒札の続きを読むと、敷地は今よりかなり広かったようだ。金堂、講堂、阿弥陀堂、法華堂、五大堂、八角堂、常行堂などの諸堂が立ち並んでいた。中でも、池の中島の八角九重塔は壮大な高塔であったといわれている。地震や火災などで焼け落ち、一時再興されがた、衰退の一歩をだどり、廃寺となったようだ。
中に入れず残念だった。調べると旅館になっているようだ。
ここの庭園の作者も、無鄰菴と同じ小川治兵衛だ。
七代小川 治兵衛(おがわ じへえ、万延元年4月5日(1860年5月25日) - 昭和8年(1933年)12月2日)は、近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。通称植治(屋号)。
山縣有朋の求めに応じて、庭園用を主目的として疏水を引きこんだ無鄰菴の作庭を行う。これを草分けとして、植治は自然の景観と躍動的な水の流れをくみこんだ自然主義的な近代日本庭園を数多く手がけて、それらを設計段階から資材調達、施工、維持管理まで総合的に引き受けていく
植治の作庭には、平安神宮、円山公園、無鄰庵(山縣有朋別邸)、清風荘(西園寺公望別邸)、対龍山荘(市田弥一郎邸)など国の名勝に指定されたものも多く、他に旧古河庭園、平安神宮、京都博物館前庭、野村碧雲荘、住友家(有芳園・茶臼山邸・鰻谷邸・住吉・東京市兵町邸)・三井家・岩崎家・細川家の各庭園など数多くの名庭を残す。そのほか、京都御苑と京都御所、修学院離宮、桂離宮、二条城、清水寺、南禅寺、妙心寺、法然院、青蓮院、仁和寺等の作庭および修景も手がけた。
(ウィキペディア「小川治兵衛」より)
岡崎神社
岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、京都市左京区岡崎東天王町にある神社である。別名「東天王」とも言われる。 かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる。
祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)とその御子・三女五男八柱神を祀る。
(ウィキペディア「岡崎神社」より
この神社はウサギが氏神様の神使い。ウサギの石像もあった。多くの女性の人が拝殿の欄干に沢山ならんでいる小さな置物の写真を一生懸命とっていた。おそらウサギの置物だったのだろう。
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