「新那知山 今熊野観音寺」のあたりは平安時代には「鳥辺野」であった。
平安時代の「鳥辺野」は今、豊国廟のある弥陀ヶ峰から泉涌寺のあたりだった。
「鳥辺野」は、北の蓮台野、西の化野とともに京都の三大墳墓地。
秀吉の頃に「大谷本廟」から清水寺のあたりが「鳥辺野」となった。
大谷本廟の脇の道を上がっていくと「鳥辺野」名前付いたお寺がある。
観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、泉山七福神巡りでは三番としてえびす神を奉祀。
「新那知山 今熊野観音」は真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺に隣接するようにある。入り口の横の道を歩いて行くと「泉涌寺」に行ける。
当初は、新熊野神社に行くつもりだった。東福寺から歩いていると「紅葉まつり」の看板を見つけた。11月18日から紅葉まつりをするとあった。泉涌寺も近いようなので、一週間早いが行ってみた。
今週の土曜日はあいにくの雨のようだ。寒くなるとも天気予報では。
参道は下り道。ここに来るまでずっと登り坂だった。参道の両側に高い木々が茂り、ほんのりうすぐらい。
下りきったところに、朱塗りの橋があった。
しばらく歩くと、入り口に。境内にはいると開け、明るくなった。
見ごろのころの紅葉はきれいだろう。
子まもり大師 の横を通って上がっていく。
本堂
ぼけ封じ観音。ここへのお参りは必須。見つけてすぐお参りした。
他にもあるようだ。
さらに奥に進み、下の写真のような山道を上がっていくと、鮮やかな朱塗りの二重の建物が現れてくる。
この建物が境内内から見えていた朱塗りの建物。医聖堂。
昭和59年完成。医療の高揚の目的で建てられたようだ。
横にはお地蔵さんが。
薄暗いところから、日が指すところ、陰のないところと、明と暗があって、いい雰囲気だった。
今熊野観音寺は、弘法大師の開基と言われる古刹のようで、かつて応仁の乱の前までは、泉涌寺を凌ぐものだったようだ。