人の一生は遠き道を・・・
一年が経つのは早い。もう何回も繰り返してきた。
また年末がやってきた。
徳川家康の言葉に、
「人生は重い荷物を背負って長い坂を上がるようなもの。・・」とあると思っていた。
本当は
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」と言うようだ。
意味は苦労しろではなく、我慢して一歩づつ進めと言う意味のようだ。
しかし、人生の大変さを思うと「遠き道」より坂の方が、イメージしやすくていいかなと思う。
しかし「遠き道」の方が、深みがあるようにとも思う。
千束坂
あえて、人生を坂と見立てた場合、
人生の坂を登りどれくらいまで上がってきただろうか?
上がり切ったときが、一生の終わり。
そして、
どんな坂だっただろうか?
こんな坂だとしんどい。
鷹峯には、京都一と言われる坂がある。
「千束坂(せんぞくさか)」。
地図で鷹峯の周辺の天神川の流れを探していると、「千束坂」の文字が目についた。
このあたりは、京七口のひとつ
光悦寺の近くなので、寄ってみようと思った。
鷹峯から先は地図上ではざっと見ると山が広がるので、この坂は、上がるとばかり思っていた。
しかし、坂近くになると、道が大リーグボール2号のように消えた。
これは意外だった。下り坂。
それも普通ではない急な坂。
古道長坂道
千束坂を下って、上がるだけだと面白くないなと思っていると
横に、「古道長坂道」という道標があった。
こっちの方が緩やかだが、道は舗装されておらず、ハイキングコースのような道。
この道がどこに続くのか急な坂より興味持ち、舗装されていない道へ足を踏み出した。
緩い坂で、ハイキング感のある道。一回方向を360度変換して、さらにゆっくり下る。
この下に何がある。昨日見た地図では天神川があるのだが、現地に行くと、そんなこと忘れて、どこに続くのかワクワクしながら歩いた。
途中、廃屋といっていような建物があったが、廃屋なのかは疑問だった。
終点、下の道に出るだけだった。
納得の終点だった。
千束坂の終点のそばの道だった。当然の結果だが、ちょっとおもしろかった。
天神川
先には、天神川に架かる橋があった。
ちょっと渡ろうとしたが、「犬がいる」という板に手書きも字を見て、橋に足を踏み入れると、「犬鳴き声が聞こえてきた。
ひょっとして橋から先は、私有地かと思い、橋の途中でやめて、天神川の写真をとって。元の道に戻った。
京七口のひとつ「長坂口」
その先には、先ほどの急な坂が目の前にあった。
下から見ると、坂の急さがわかる。
こんな坂は、兵庫県芦屋市の六麓荘のあたりで見たぐらいだ。
光悦寺に行くに戻るには、先ほどの古道をあがるか、この坂を上がるかだ。
同じところを戻るのも、面白くないので、急な坂を上ることにした。
終点は見えるが、終点を見上げるように歩いた。車は上りも下りもゆっくりと、自転車も下ってきた。登っていく自転車はなかった。なかかタフな坂だ。息が切れ、終点はまだかまだかと思い歩いた。ふくらはぎが張ってきた。
終点近く、坂を上がってきた原チャリが、急に減速、乗っている人が足こぎのアシストで上がって行っていった。
坂の上の辺りが、坂が傾斜が急になっていた。
坂の上の終点近くの電柱に、今年の5月8日の京都新聞の切り抜きが張られていた。
この坂が京都一の急な坂で約21%ほどあると書かれいた。
21%の傾斜は、約11度後半の急な坂。5度の坂でも級に感じるが、それの倍以上の急な坂だ。
なぜこんな坂を・・・と。思う人は少ないかもしれないが。
この急な坂を造ったのは、本阿弥光悦さんのようだ。
光悦さんは、工芸や芸術面では優れた人だった。家康に認められてこの鷹峯の地を与えられた。しかし、光悦という偏屈な人を使って、京七口の一つこの鷹峯の管理をさせる意味あったようだ。それにこたえるように、わざと光悦は、急な坂を造ったとか?
ただ、なんとなく寄ってみようと思ったところが、わりと興味深い所だった。
京見峠を越え杉坂に至る長坂越がのびていた。そこから周山、若狭へと道がつながっており、周山街道(現在の国道162号)が開通するまでは、こちらが周山へと向かう道であった。御土居の出入口が北区鷹峯旧土居町にあった。(ウィキペディア「京七口」より)
鯖街道?
京都市北区南西部に位置し、右京区と接している。京の七口の一つである長坂口(ながさかぐち)から丹波国、若狭国へ続く、かつての鯖街道の入口にあたる(ウィキペディア「鷹峯」より
鯖街道は、出町柳近くの辺りがかと思ったが。
「かつて」とあるので、その前の鯖街道の入り口がここなのだろう。
千本通りを上がって、西にあるので、京都市の西にあるかと思ったが、地図をみると意外と、東よりにあって、鯖街道といわれても納得できる。
地図
youtubeに「千束坂」を電動アシスト自転車にあがるというヤマハパスの動画あった。
動画では、ヤマハパスで簡単そうに上がっていたが、
京都を歩くと、意外な景色はに出会える。
目的なしでも何かに出会える。