鷹峯・京都一の坂千束坂と古道長坂道・京七口「長坂口」かつての鯖街道入り口。【京都市北区】 20231224

 

人の一生は遠き道を・・・

一年が経つのは早い。もう何回も繰り返してきた。

また年末がやってきた。

 

徳川家康の言葉に、

「人生は重い荷物を背負って長い坂を上がるようなもの。・・」とあると思っていた。

本当は

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」と言うようだ。

意味は苦労しろではなく、我慢して一歩づつ進めと言う意味のようだ。

 

しかし、人生の大変さを思うと「遠き道」より坂の方が、イメージしやすくていいかなと思う。

しかし「遠き道」の方が、深みがあるようにとも思う。

千束坂

あえて、人生を坂と見立てた場合、

人生の坂を登りどれくらいまで上がってきただろうか?

上がり切ったときが、一生の終わり。

そして、

どんな坂だっただろうか?

こんな坂だとしんどい。

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鷹峯には、京都一と言われる坂がある。

 

「千束坂(せんぞくさか)」。

 

地図で鷹峯の周辺の天神川の流れを探していると、「千束坂」の文字が目についた。

このあたりは、京七口のひとつ

光悦寺の近くなので、寄ってみようと思った。

鷹峯から先は地図上ではざっと見ると山が広がるので、この坂は、上がるとばかり思っていた。

しかし、坂近くになると、道が大リーグボール2号のように消えた。

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これは意外だった。下り坂。

それも普通ではない急な坂。

古道長坂道

千束坂を下って、上がるだけだと面白くないなと思っていると

横に、「古道長坂道」という道標があった。

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こっちの方が緩やかだが、道は舗装されておらず、ハイキングコースのような道。

この道がどこに続くのか急な坂より興味持ち、舗装されていない道へ足を踏み出した。

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緩い坂で、ハイキング感のある道。一回方向を360度変換して、さらにゆっくり下る。

この下に何がある。昨日見た地図では天神川があるのだが、現地に行くと、そんなこと忘れて、どこに続くのかワクワクしながら歩いた。

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途中、廃屋といっていような建物があったが、廃屋なのかは疑問だった。

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終点、下の道に出るだけだった。f:id:m3785com:20231228191509j:image

納得の終点だった。

千束坂の終点のそばの道だった。当然の結果だが、ちょっとおもしろかった。

天神川

先には、天神川に架かる橋があった。
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ちょっと渡ろうとしたが、「犬がいる」という板に手書きも字を見て、橋に足を踏み入れると、「犬鳴き声が聞こえてきた。

ひょっとして橋から先は、私有地かと思い、橋の途中でやめて、天神川の写真をとって。元の道に戻った。

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京七口のひとつ「長坂口」

その先には、先ほどの急な坂が目の前にあった。

下から見ると、坂の急さがわかる。

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こんな坂は、兵庫県芦屋市の六麓荘のあたりで見たぐらいだ。

光悦寺に行くに戻るには、先ほどの古道をあがるか、この坂を上がるかだ。

同じところを戻るのも、面白くないので、急な坂を上ることにした。

終点は見えるが、終点を見上げるように歩いた。車は上りも下りもゆっくりと、自転車も下ってきた。登っていく自転車はなかった。なかかタフな坂だ。息が切れ、終点はまだかまだかと思い歩いた。ふくらはぎが張ってきた。

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終点近く、坂を上がってきた原チャリが、急に減速、乗っている人が足こぎのアシストで上がって行っていった。

坂の上の辺りが、坂が傾斜が急になっていた。

坂の上の終点近くの電柱に、今年の5月8日の京都新聞の切り抜きが張られていた。

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この坂が京都一の急な坂で約21%ほどあると書かれいた。

21%の傾斜は、約11度後半の急な坂。5度の坂でも級に感じるが、それの倍以上の急な坂だ。

なぜこんな坂を・・・と。思う人は少ないかもしれないが。

この急な坂を造ったのは、本阿弥光悦さんのようだ。

光悦さんは、工芸や芸術面では優れた人だった。家康に認められてこの鷹峯の地を与えられた。しかし、光悦という偏屈な人を使って、京七口の一つこの鷹峯の管理をさせる意味あったようだ。それにこたえるように、わざと光悦は、急な坂を造ったとか?

ただ、なんとなく寄ってみようと思ったところが、わりと興味深い所だった。

 京見峠を越え杉坂に至る長坂越がのびていた。そこから周山、若狭へと道がつながっており、周山街道(現在の国道162号)が開通するまでは、こちらが周山へと向かう道であった。御土居の出入口が北区鷹峯旧土居町にあった。(ウィキペディア「京七口」より)

鯖街道?

 京都市北区南西部に位置し、右京区と接している。京の七口の一つである長坂口(ながさかぐち)から丹波国、若狭国へ続く、かつて鯖街道の入口にあたる(ウィキペディア「鷹峯」より

鯖街道は、出町柳近くの辺りがかと思ったが。

「かつて」とあるので、その前の鯖街道の入り口がここなのだろう。

千本通りを上がって、西にあるので、京都市の西にあるかと思ったが、地図をみると意外と、東よりにあって、鯖街道といわれても納得できる。

地図

 

 

youtubeに「千束坂」を電動アシスト自転車にあがるというヤマハパスの動画あった。

動画では、ヤマハパスで簡単そうに上がっていたが、

 

 

 

京都を歩くと、意外な景色はに出会える。

目的なしでも何かに出会える。