光悦寺
大虚山と号する日蓮宗の寺である。当地は、元和元年(1615年)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が一族、工匠等と移り住み、芸術郷を築いたところである。
光悦は、刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵などにも優れ、芸術指導者おしても活躍した。
当寺は、本阿弥家の位牌堂を光悦没後に、本法寺の日慈上人を開山に請じて寺に改めたものである。(案内看板より)
拝観料は400円。
この日は、庭園のみ。
大虚庵
他にもいくつか建物があった。
光悦垣
光悦垣の中の木の紅葉はきれいようだ。パンフレットに写真が載っていた。
↓拝観の時にもらったリーフレット
光悦寺庭園
冬の庭園の散策
光悦寺には2回目。前回も冬だった。本当は、春・秋にくれば季節の色を鑑賞することができたのだろうかと思う。
なぜか、冬。
紅葉も終わり。色が減った庭を散策した。かと言って、まったくダメなわけではなく、冬の庭園も良いものだと思う。
冬の庭園のいいことは、日差しが弱くなって冬を越そうと身を縮めている庭園の草木に、前の季節の名残と先の季節の予感を感じる事ができる。冬は冬で色を付けるものもある。
↓万両
冬に京都の町を歩いていると、南天をよく見かける。南天の赤い実が冬を彩る。
南天はよく見たが、万両や千両はあまり見たことがなかった。
南天はブドウの房のように赤い実をいっぱいにつける。万両は、葉の下に実をつける。千両は、葉の上に実をつける。
もうひとつ、冬の庭園のいいことは人が少ないことかと思う。
同じバスに乗り合わせた外国人グループがいた。バス中でもずっと話をしていて、席が近く、ちょっとうるさいと感じた。同じバス停で降りて、どうも光悦寺を目指しているようだった。
できれば、一緒になりたくないと思いつつ光悦寺の方へ足を進めた。
たまたま、光悦寺の近くにちょっと寄りたいところがあったので、先にそちらに向かうことにした。
光悦寺に入る前に、寄り道をしたので、光悦寺の庭園に行ったときは、彼らが帰るときだった。庭園内で彼らとすれ違ったあとは一人で庭園内を散策することができた。
光悦寺からの眺望
光悦寺のひとつ見どころは、鷹ケ峰と京都の東山を見渡せる眺望だ。
光悦寺庭園の散策できる一番奥にある本阿弥庵に休憩所がある。庭園内の散策できる一番奥あたりにあり、前の植栽がなければ眺望がいいかと思える。鷹ケ峰がよく見えた。
ただ、冬の頃は、太陽が低い。
本阿弥庵
本阿弥庵の前の庭からは、鷹ケ峰の他、視線を少し右にふると、鷲ケ峰があり、天ケ峰があるようだ。天ケ峰は、鷲ヶ峰によりそうようにあるので、よくわからないが、庭園の眺望の案内には天ケ峰が書かれていた。
本阿弥庵の前から、撮った。一番左から、「鷹が峰」「鷲が峰」「天が峰」。
鷹ケ峰と鷲ケ峰ははっきりわかるが、天ケ峰はどうもはっきりわからない。鷲ケ峰の右にあるようだ。
この三つの山を「鷹峯三山」というようだ。
大文字山(左大文字)の北方に位置し、当地西方に連なる丘陵をいう。東から鷹峯(鷹ケ峰、たかがみね)、鷲峯(鷲ケ峰、わしがみね)、天峯(天ケ峰、てんがみね)と称する。古文書に複数記載されるなど、かねてより多くの人に親しまれてきた。花札の8月の絵札でおなじみの「芒」は、この鷹峯の山を模したものとされる[8]。(ウィキペディア「鷹峯」より)
東山の方向。
本阿弥庵の他もう一か所眺めを楽しむ場所がある。こちらの方が、眺望用なのかもしれない。
鷹ケ峰と鷹峯
この辺りの地名は、「鷹峯」がつく。
山の名前は「鷹ケ峰」ようだが、地名は「鷹峯」となるようだ。
京都市北区南西部に位置し、右京区と接している。京の七口の一つである長坂口(ながさかぐち)から丹波国、若狭国へ続く、かつての鯖街道の入口にあたる。(ウィキペディア「鷹峯」より)
アクセス・地図
市バス6番「源光庵前」下車、徒歩約3分
阪急電車「大宮」駅で下車して、8番バス乗り場からバスを乗った。
車で行く場合は、千本通りをまっすぐ終点まで行き、左に曲がって、少し行ったところにある。駐車場もある。
↓光悦寺駐車場
地図