建勲神社や船岡山に行くのは2回目。
前回は船岡山が目的、今回は建勲神社が目的だった。
船岡山の多くは建勲神社かと思うくらい、建勲神社の存在が大きい。
しかし、船岡山は、平安京造営にあたり、四神相応の北を司る玄武の地と言うことを書いている本があった。
北の玄武の船岡山
東は鴨川の青龍
南は巨鯨稲の朱雀
西は白虎の山陰道
だったと思う。
ウィキペディアを読むとちゃんと学説で説明されたものではないようだ。いわゆる「俗説」とあった。
建勲神社に行ってみると、船岡山や建勲神社かと思うほど、建勲神社の存在が大きい。
北参道を下り、少し脇道に入ると建勲神社境内と言う標識が見えた。
建勲神社境内への階段を上がると建勲神社へ行くのだろうかと思い上がってみた。
この時、少し疲れていた。千本出水から色々みて周りなが歩いた。この日も暑い。
何があるか?好奇心を糧に歩いた。
↓北参道から脇道。
開けたところで上がる階段があった。
見たことがある景色だった。
三角点があった。
さらに進んで、船岡山の眺望ポイント。
見えるポイントの説明写真看板があった。
ここは。以前来た時は、木が茂っていて、眺望はほとんど見えなかった。
今回わりと見えたように思う。
遠くに京都タワーが見えた。
以前見たな。自撮り棒を持ってくるのを忘れたので、いい眺めの写真は撮れなかった。
船岡山西側天神川までがは蓮台野だったようだ。
京都市北区紫野北舟岡町に位置する、標高111.7m、面積2万5000坪の小山である。船岡山城の遺構が建勲神社および船岡山公園として整備されている。
(略)
平安京の中軸線である朱雀大路の真北に位置しているところから、造都に際して船岡山は南北軸の測量基準点となったとの説があり、また頂上付近には露頭した岩が見られるため造都以前から磐座(いわくら)として信仰されていたとする説がある。
(略)
これらの説は今のところ学問的な裏付けのない「俗説」の域を出ない。(ウィキペディア「船岡山」より)