上千本商店街
千本ゑんま堂(引接寺)は千本通り沿いにある。
千本ゑんま堂(引接寺)があるあたりの、千本通りの西側には上千本商店街のアーケードがある。色々なお店が建ち並んでいる。東側はと言うと、住宅街のような様相だった。
道の両側で街の表情が違った。
上千本商店街のアーケードを歩いていると、少しだけ、アーケードが切れているところがある。
そこに、「千本ゑんま堂(引接寺)」があった。
中に入ると、駐車場だった。駐車場内にあるお寺と言う印象が強かった。
小野篁と京都3大墓地
「千本ゑんま堂 引接寺」は、現地案内板によると、小野篁が、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まるそうだ。
このあたりは、千本通を一条通りを超えて、今出川通りを超えたところになる。朱雀大路頭というのは、少し言いづらい気がしないではない。
ウィキペディアに以下のように書かれていた。
引接とは仏が衆生を浄土に往生させること[1]である。その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野、鳥辺野、蓮台野(れんだいの)の一つである蓮台野の入口に立っている。現在でも地獄の裁判官である閻魔の像を祀り、「悪いことをするな」「嘘をついてはいけない」という子供らへの教戒の場となっている。寺務所では「えんま様のお目こぼし」というかき餅も売られている。
(ウィキペディア「引接寺(京都)」より)
蓮台野と言う大墓地へ行く道に、小野篁はお寺を建てた。
大墓地の入り口と言うと、東山にある鳥辺野の入り口には、小野篁とゆかり深い六道珍皇寺もがある。六道の辻の碑が寺の前にある。六波羅蜜の近くの辻にも「六道の辻」の石碑がある。
閻魔大王こ像もある。
化野への入り口と言うと、大覚寺近くに「六道の辻」の碑がある。小野篁が閻摩庁からかえってくる「黄泉がえりの井戸」があると言われていた福生寺跡にその碑があった。
六道珍皇寺には、「冥土通いの井戸」あり、朝には嵯峨野の福生寺の「黄泉がえりの井戸」からかえってくると言われていら。しかし、最近「黄泉がえりの井戸」が六道珍皇寺で見つかったと言われている。
「冥土通いの井戸」も「黄泉がえりの井戸」も六道珍皇寺にあることになったような感じだ。
この話になると、少し頭こ中を整理しないと、小野篁本に閻摩庁へ行っていたの?
史実っぽくて面白いが。
堅い話をすると、「冥土通いの井戸」も「黄泉がえりの井戸」も実際に小野篁が閻摩庁に通ったことも、?がつく。
歴史のイマジネーション世界の面白味でもある。
史実として、京都の3大墓地の入り口に小野篁ゆかりのお寺があると言うことになる。
小野篁さんはすごいなと思う。小野篁さんを調べると面白いかもしれない。
小野家は、面白い、小野妹子や小野小町も時代は違うが小野篁さんの血縁。
さらに、
このお寺から北東に堀川通り沿いに、小野篁の墓がある。紫式部のお墓と並んである。
2019年5月5日撮影
紫式部とも関わりがあった。
少し、話が逸れそうだ。
小野篁さんは面白い。
千本ゑんま堂 引接寺本堂。
中で閻魔大王の像があるがガラス張りで中がよく見えなかった。
入って左手に行くと社務所があった。そこで御朱印などを買うことができる。本堂内の見学も申し込めるようだ。詳しくは現地で確認が必要。やっていないかもしれない。やっているなら、本堂内を見学した方がいい。
梵鐘(京都市指定文化財)
毎年8月の「お精霊迎え」の行事には「迎え鐘」「送り鐘」として、大晦日の「除夜の鐘」を撞くために長い行列ができるそうだ。
梵鐘の龍頭はたてがみを逆立て、口を大きく開いて上部には火炎宝珠を据えている。
入口案内看板
光明山歓喜院引接寺と号する寺院で、本尊としていい閻魔法王を祀り、一般に「千本ゑんま堂」の名で親しまれている。
開基は小野篁卿(おののたかむら)(802-853)で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻摩之庁に仕えたと伝えられ、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まる。
(略)
現存の閻魔法王は長享二年(1488)に造立されたもので、高さは2.4mある。篁は「お精霊迎え」の法儀を授かり、卒塔婆供養と迎え鐘によって、この世を現世浄化の根本道場とした。(現地案内看板より抜粋)
地図・アクセス
市バス「乾隆校前」または「千本鞍馬口」下車、徒歩約2分