散歩と写真 Walker'SceneryPhotos in Kansai

散歩しながら撮った写真 京都・大阪・和歌山。神社仏閣・史跡・季節の花


「平家物語」の時代(平安時代終わりごろ)・時代の波に乗り、吞み込まれて、夢かなわず、消えていった強者たち

日本史で人気のある時代と言うと。

信長・秀吉・家康と日本史上稀有な英雄を輩出した戦国時代

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大阪城豊国神社前の豊臣秀吉像

それと

新撰組・西郷隆盛など時代を大きく転回させた英雄が跋扈した明治維新ではないかと思う。

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京都市伏見区の寺田屋

それ以外でも、興味深い時代はある。

歴史は面白い。

そして、歴史研究の結果、新しい説が出てくるなど、歴史は、過ぎ去ったことだが、変化していく。

   

 

興味がある時代は、

乙巳の変(いっしのへん)、いわゆる大化の改新の時代。この時代も面白い。
蘇我氏に主導権を握られていた政権を、中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺して、蘇我氏を滅ぼした。
天皇親政を目指したものだろう。
井上靖氏の「額田の女王」を読んで、そこから関連の書籍をいくつか読んだ。

大化の改新の後、中大兄皇子は天智天皇になり、天智天皇の死後、弟の大海人皇子が息子の大友皇子と後目争い(壬申の乱)をし、倒し、天武天皇になった。

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滋賀県大津市大津宮(天智天皇の時造営)

そして、中臣鎌足はというと、
鎌足の子孫は藤原の姓を賜り、天皇家と姻戚関係を結ぶなど、外戚として権力ふるい、平安時代の道長の頃に絶頂期を向かえる。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
と藤原摂関系の栄華を謳歌した。
そして、そんな藤原氏の隆盛もいつまでも続かない。

   


平安時代末期。平家物語の時代
後三条天皇のあとついだ白河天皇。意に染まず弟を皇太弟(天皇後継者の地位)とせざるえなかった。
自らの息子や嫡流を天皇したいと思った。
天皇だけならず人の子の親であれば、自分の子供に社長なりの価値ある地位(天皇の位)を継がせたく思うはず。
息子が不肖でなければ、問題ないのだが、多くの場合、これで多くの人が迷惑するのだが、
天皇家の場合は、そうすることで、自分の影響力をもち続けることができる。
崇徳天皇の子を皇太子にすることができなかったことが保元の乱の一因だったかもしれない。
 そんな時、皇太弟が先になくなった。白河天皇は、そうそうに退位し、息子の堀川天皇に譲位した。
堀川天皇の頃は、摂関家の藤原氏とうまくいっていて、天皇親政のような状態だったそうだ。
堀川天皇も長命でなく、白河天皇より先に崩御する。

堀川天皇が崩御した頃、摂関家の藤原氏も当主がなくなり摂関家の藤原氏は内部混乱し次第に力を弱めていく。藤原氏の影響が弱くなった。

堀川天皇の跡を継いだのは白河上皇の孫で幼少の鳥羽天皇。

白河上皇が幼少の天皇に変わり政務をとった。本格的に白河上皇院政をが始まったと言えるかもしれない。
白河上皇の後、上皇についたのは、孫の鳥羽上皇
鳥羽上皇になり、崇徳天皇が即位した。
このときに、後の乱の種がまかれ、
そして、鳥羽上皇の死後、きなくさくなてくる。
天皇家の後継争いに端を発した、天皇家、源氏、平氏、藤原氏の同族の戦いが起こる。
その中で、平清盛が台頭してきた。
 藤原氏の影響が弱くなったかと思えば、今度は武家の平氏が天皇の外戚としなり藤原氏のようになろうとした時代。

「平家にあらずば人にあらず」と清盛の義理の弟の時忠に言わせるほど、平氏の隆盛を極めた。
平氏の奢りと所業は貴族や武士、民から反感を買い、平氏は平氏は清盛の死後、源氏が兵を挙げ、そして、滅ぼされてしまう。

このあたりの時代を描いたのが「平家物語」

「平家物語」のアニメが今年の1月に始まった。毎週見ている。今週で3回目。
ストーリー展開や、アニメの絵が気に入った。

アニメ三回目まで見た。

主人公は、父を平氏に殺された孤児の「びわ」。びわは、未来を見ることができる特殊な目を持っていた。同じように、死者が見えてしまう目を持った平重盛とであう。父を殺した平氏の平重盛が、びわの能力に気が付いた重盛は、自分の家で暮らすように勧め、びわは重盛の家で暮らすことになった。栄華を極めるの平氏の驕りを見、そんななかでも奢らない人も見た。
 奢らない人の代表が平重盛かもしれない。平氏を排斥しようと企てる後白河上皇。
重盛は平氏があるのは後白河上皇のおかげと忠を尽くそうとする。
 重盛はこの時代の平氏のなかでは、「平氏の良心」いわれるほど、奢らず、武勇も優れていた。
以上がアニメの設定だ。

重盛は、清盛の驕りには、眉をひそめていたのではないかと思う。父の清盛に苦言も呈したのはないかと思う。
残念なことに、重盛は、清盛に先立ちなくなる。
もし、重盛が清盛より長生きし、清盛の跡を継ぐことができたとしたら、源氏の時代はどうなっただろうか?鎌倉幕府はあっただろうか?と思う。

 

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、ちょうど平家物語の時代と重なる。
こちらは、平家物語でも頼朝が流された坂東の話と重なる。
なぜ、清盛は、頼朝を平治の乱で敗れた源義朝が逃げようとした坂東に流したのだろうか?
坂東の地盤は、平氏。京都の平氏は伊勢平氏であったり伊賀平氏だった。
同じ平氏といっても、世代を経ると、他人と同じ。
いや、同性ということのライバル意識が芽生え、他人よりひどい関係になるかもしれない。
坂東は源氏の地盤でもあると同時に平氏の地盤でもあった。
平氏を倒したのは源の神輿を担いだ坂東平氏だといえるかもしれない。
北条氏も姓は「平」だ。

 

平家物語の原書は読んだことがない、読めない。
代わりに吉川英治氏の「新平家物語」を読んでいる。時間をかけて、まだ、読み終わっていない。今は、木曽義仲が京都に攻め上る前。長く中断している。
木曽義仲が平家を京都から追いやる所から壇ノ浦で平氏が滅びるころまでは、人気があるのだろう。
保元の乱や平治の乱のあたりが面白いと思っている。

読んでいて、
平家の隆盛をもたらしたのは、清盛の力だっただろうか?
父忠盛が武士で初めて昇殿を認められて以来平氏の隆盛が始まったのではないか考えたり。
清盛は父忠盛の残した財産の上に載って、周りの強豪がどんどん舞台から自然と消えていった。
清盛は運がよく胆力があった。
その運の波にうまく乗って、
それにつれて平氏一族が栄華を極めることとなったと思う。
波に乗った平氏、清盛の死後、その波にのまれて(壇ノ浦)消えてしまった。

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平清盛の終焉推定地

 

   

 

京都と熊野のつながりについて、

最後に、白河上皇の時代から、上皇の熊野御幸が頻繁になる。
この時代は、熊野とも深いかかわりがある時代った。
頼朝の旗揚げの契機になった、後白河上皇の息子の以仁王の「平家追討」の令書を届けたのは、新宮行家(源行家)だ。
和歌山県の新宮に拠点を置いていたので、新宮行家と言われている。
 弁慶の父ともいわれる湛増は今の田辺市にあって、熊野の別当をつとめ、熊野三山を統括する役職についいた。熊野別当の地位をめぐって、田辺別当家と新宮別当家と分裂し、両家を別当の地位をめぐったは争をしたこともあるようだ。
同時に、湛増は熊野水軍を統率していた。
 平氏と源氏の争いが、瀬戸内海に遷ったとき、平氏と源氏の双方から声がかかったが、判断を今の田辺市にある闘鶏神社で、赤い鶏と白い鶏を争わせて神意を問い、どちらに着くか決めたようだ。
 結果、源氏ついてそれからは、源氏の優勢のなか、平氏は壇ノ浦で滅びる。

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和歌山県田辺市闘鶏神社の湛増と弁慶の像