島原へはJR「丹波口」駅から歩いても遠くない。
昨年の7月にも行った。
輪違屋
前回来た時は、中を見ることができなかった。
行くと、特別公開していた。
今年は、7月7日から9月30日まで。
入場料は600円。
入ると、まず奥のクーラー効いた部屋で説明していると案内された。
一階の奥の部屋で、クーラーの聞いた部屋で、輪違屋の説明をしていた。
年配の方が、わかりやすく説明してくれた。
途中での参加も大丈夫。
10分ぐらいの説明を、途中参加の人もいるので、繰り返しされていた。
築160の建物、床壁も天井も黒に近い濃い茶で明治維新の頃を思わせる雰囲気があった。
輪違屋の創業は1688年(元禄元年)。
入ったすぐに部屋は白い照明だった。
奥は、照度の低い電球色の灯りが、ポツンとあるだけで、暗い。
この暗さが雰囲気を醸していた。
説明受ける部屋も、薄暗い感じだった。
当時こんなだったかなという雰囲気を味わえた。
京都の5花街に島原を加えて6花街とも言う。
吉原では「花魁」島原では「太夫」。
「太夫」は、容姿だけでなく、教養も重視されるようだ。
常連客合わせるために、色々な事を習得している。
当時の文化人と言われる人が、好むようなことだ。
わりと数があった。
太夫が常連客に宛てた「文(フミ)」が部屋障子に貼ってあった。掛け軸されているのもあった。
「文」は、常連客をつなぎ止めて行く上で、大切だった時代だろう。
工夫して、アゲハチョウの透かしの入ったような文も送ったようだ。
1階は写真を撮ってもよいが、
2階はダメなようだ。
特別な何かがあるのかと思った。
2階で見ることができたのは、「傘の間」と「もみじの間」と太夫の控えの部屋。
担当の人がいて、説明してくれた。
特に写真を撮ってはいけなさそうなものはなかった。
説明もあるが、同時に、写真を撮らないように見ているのかな。
なぜか?
2階からは、近くの家が見えるから?も一つのようだ。
太夫の控えの部屋は狭く、よく見ると天井が低い。
2mほどの高さかもしれない。
鴨居の高さは1.8mほど。
「低いですね」というと。
当時の、太夫の身長は145Cmぐらで、髪は、多くのカンザシをさして、重さ3kgほどになるほどのものが乗るので、そこそこ丈はあったようだ。
太夫の身長の145Cmにそれらをプラスすると180Cmを超えるようだ。
控えを出るとき、少し屈み気味にして出ていたのかもしれない。
2階なので写真はとれなかった。
「輪違屋」という名前は、明治になってから、置屋以外もするようにとの政府から指示があったようで、その時に、与えられた名前のようだ。
その意味は不明。
それまでは「養花楼」だった。
話を聞いて、観て、いろいろわかったような気がする。
建物の外観をみているだけではわからない。