天神川(紙屋川) 北野天満宮の西を流れる川 300811

鴨川、高瀬川、桂川は有名な川だ。

京都の案内本を読んでいると、天神川(紙屋川)という川が出てくる。

淀川水系の川だ。

天神川は、特に歴史的に何があったという川ではなそうだ。

ちょくちょく、京都本で見かけた。

北野天満宮の横を流れるから、天神川というようだ。

なぜ、「紙屋川」といわれるようになったかは、わからない。

 

   

 

昔は、紙屋川とも言われてた。古くは西堀川とも言われていたようだ。

今でも、上流は紙屋川下流は天神川ということもあるようだ。

Google mapでは天神川という表記だ。

今出川通りにある北野橋の欄干にか書かれている川の名前は「紙屋川」とあった。

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この川は、取り立てて有名ではない。

境界線などにはなっていたのだろう。

 

京都七野の蓮台野は天神川上流の紙屋川と船岡山間範囲だっと京都の本にあった。

蓮台野は、古くは、鳥辺野・化野と並ぶ京都の三大風葬地の一つだった。

あれから、随分と時間が経っているので、当時の様子を偲ばせるものはないと思うが、

どんな川か?と興味があった。

滅多にここあたりまで足を運ぶことがない。

衣笠にある等持院に行った機会にと、天神川(紙屋川)の近くを歩いた。

 

水量は多くないが、とても深い。

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流れは早く、水は澄んでいた。

この辺りはまだ上流にあたるからだろう。

都市の中を流れる川にしてはきれいだ。

北野天満宮のあたりでは、両岸に桜の木が植えられていいるようだ。

近くには、桜の名所の平野神社もある。桜の頃に来るといいかもしれない。

紅葉のころもよさそうだ。

この辺りには御土居の跡もあるとのこと。

   

 

これで、天神川(紙屋川)を見たつもりで、フラフラと歩いて。大将軍八神社の案内を見て、行った。

大将軍八神社

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平安京造営の時、方位の守護神として、大内裏の北西角(天門)の地に造られたようだ。大将軍とは陰陽道で言う星人天大将軍で方位を司る神。

明治時代に神仏分離令で祭神が素戔嗚尊となった。「八神社」というのは、陰陽道の暦神(八将神)を祀ることから来ている。明治以降は、素戔嗚尊の御子神八柱も重なってきた。

 

天神川(紙屋川)は住宅街の中を南に流れて行く。

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川の流れがきれい、ゴミがほとんどない。

これだけ、住宅近くを流れていると、色々なものが川に放棄されて、見るに耐えない状態になることが多い。

このあたりは、街を上げて川の美化に努めているようだ。

行く先々こ橋には、川の美化を守ろううという看板がある。

水量の少ない川、増水したときはそこそこ上まで上がってくのだろうか?f:id:m3785com:20180813071935j:image
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銭湯の煙突から煙が上がっていた。
昔はよく見たが、最近で銭湯の数が減って、久しく見ていない。

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京都水害

ただ、この川は昭和10年の京都水害(鴨川水害)があった。鴨川という名が付いているが、被害は、桂川に天神川流域方は大きかったようだ。

決壊付け替え工事が決まったが、着工されず、住民たちの勤労奉仕で決壊付け替え工事が始まる。

昭和26年にも大水害があった。

京都盆地の南西がどうも標高が低いようだ。

京都の街は北が高く南に行くにしたがって、下がっていく。

京都で、北にいくことを「上がる」というのも、それから来るのかもしれない。

このあたりは、今日盆地でも低いところにあるから、

丸太町以南は、天神川は天井川であったとのこと。

昭和33年に紙屋川の上流に砂防ダムが作られた。

それで、水害も緩和されたのだろう。

同時に川の底も深くなったのだろう。

 

 

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