冬らしい空の京都。
京都駅からバスに乗るつもりだった。バスターミナルに行って、バスに乗るのをあきらめた。
バスターミナルには、人がいっぱい。目的地に行くバス乗り場は、バス2台で乗り切ることができるかどうかとと思うほどの行列だった。
雨が降りそうだが、歩くことにした。
ほんのり暗い京都の街に歩きだした。
「不明門(あけずもん)通り」
塩小路通りに出て、烏丸通りより一本東の「不明門(あけずもん)通り」を北に。
この通りは「七條通り」まで「旅館街」、多くの旅館が軒を並べていた。
「三条通り」より一本北の「姉小路通り」の車屋町から、「車屋町通り」。「四条通り」一本南の「綾小路通り」で途切れたりで途切れる。
「不明門(あけずもん)」の由来は、この通りの進むと「因幡薬師堂 平等寺」があって、正面門が、ずって閉じられていた開けられることがなかったからだそうだ。「不明門(あけずもん)」は京都の難読地名の一つとされている。
高瀬川沿い
「不明門(あけずもん)」、七條通り、高倉通り、河原町通りと歩いて、高瀬川についた。高瀬川の橋のたもとに銭湯があった。朝から営業しているようで、曇天の薄暗い中で銭湯の提灯がやけに目立った。
高瀬川沿いを歩いていると、簡易の橋が架かっていた。
高瀬川から離れて細い道をウロウロ。
鴨川に出た。見えるのは「五条大橋」。
五条通りを東に歩き、「大谷本廟」に。曇天なので、うす暗い感じ。
バスに乗って、岡崎公園まで。
京都は鉄道網はあまり発達していないが、バスの便はよさそうだ。
観光地近くだからか、バスを待っていると、次から次へと色々な名所へ行くバスがやってくる。
岡崎公園には京都府立図書館がある。
その前に市電がおいてあり、
京都の観光案内をする「京都 岡崎コンシェルジュ」がある。
市電の車内には観光地のパンフレットやパネル展示などもある。
ボランティアで観光案内をされているようだ。英語も堪能だ。
平安神宮
平安神宮の大鳥居。
京都市役所、本能寺、金剛山矢田寺
平安神宮から蹴上まで歩き、疎水分線を歩いて、南禅寺、そして敬上げに戻り、地下鉄に乗った。
そして、地下鉄を三条駅で降りて、御池通に出た。
河原町通りと御池通の交差点に京都市役所がある。
古い建物だ。いま整備工事中。正面から入れなさそうだ。
市役所の横は、寺町通。寺町商店街を歩いて、四条を目指した。
寺町通りを南に寺町京極商店街のアーケードに入ってすぐ、左手に「本能寺」がある。
ここは「本能寺の変」のあった本能寺ではない。秀吉の区画整理で、現在のこのちに移ったようだ。
「本能寺」は「本能寺の変」で火災にあい、以降、火にまつわる災いがあったと聞いたことがある。「能」の右が「ヒヒ」になって「火」にまつわる文字なのでのを嫌って、「去」に似たような字に変えたようだ。
信長公廟
その右横に見える木。「京都市指定 保存樹」のイチョウだ。
本能寺の変の後、この場所に移植されたと伝えられている。
「天明の大火(1788年)で市中が猛火にさらされたとき、イチョウから水が噴き出し、木の下に身を寄せていた人が助かったという言い伝えたがある。「火伏せのイチョウ」とも呼ばれているようだ。
本能寺とこのイチョウの組み合わせはとても興味深い。火と水。
さらに「寺町京極商店街」を三条方面に歩き、三条の手前に「金剛山 矢田寺」がある。
この寺は、東山、六波羅蜜寺の近くにある「六道珍皇寺」とは関係がある。お盆の時に、祖先の霊を迎えるのが「六道珍皇寺」。冥途まで響くといわれる「迎え鐘」がある。
死者の霊を迷わず冥途に送る矢田寺には「送り鐘」がある。
この寺は、大和の国の矢田寺の別院と建てられたともいわれている。
大和の国の矢田寺とは、あじさいで有名な矢田寺だろうか?
寺町京極商店街
新京極商店街。