鷺森神社 京都盆地の緑の出島のよう 長い参道は季節は違うが春には山桜が咲き・秋には紅葉。【京都市左京区】  20240804

 

京都盆地の緑の出島?

Googleマップを見ていると、

Googleマップの空撮モードで東山の緑の領域から少し離れて、ポツンと小さい緑のエリアがあった。

京都盆地の緑の出島のような感じだった。

「ここは?」

地図を拡大すると

「鷺森神社」とあった。

その緑のところは、神社の神域?

白川通りからほぼまっすぐ神社に続く道があった。

さらによく見ると、ある所からほぼ一直線の道だった。

これは面白そうと、行ってみることにした。

 

 

鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)

鳥居からの参道が長い一直線だった。

鷺森神社 京都市左京区

長い参道、途中参道の道路の端が駐車場になっていたり、民家の玄関などもあった。

鷺森神社 京都市左京区

鷺森神社とは

鷺森神社 案内 京都市左京区

この神社の創建は貞観年間ととても古い。

 

・祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)

 

素戔嗚尊は天照大神の弟で、荒ぶる神なのだが、かなり多くの神社の祭神となっている。

祇園祭で有名な八坂神社の祭神も素戔嗚尊(牛頭天王)。

荒魂を祭神とすると色々災があると思われるが。

日本人の知恵として、荒魂を祀ることで、荒魂に守ってもらおうという考えがあると本で読んだことがある。

 

貞観年間は859年から877年までの期間。

今から千百年以上前、時代は平安時代。

貞観は小野篁のあと紫式部が登場するかなり前。

清和天皇の時代。
嘉祥3年3月25日〈850年5月10日〉- 元慶4年12月4日〈881年1月7日〉)。

菅原道真の時代。
承和12年6月25日〈845年8月1日〉- 延喜3年2月25日〈903年3月26日〉) 

 

ずっと昔からこの地にあったわけではない。

応仁の乱で焼失し、しばらくは修学院のところにあったようだ。

元禄年間にこの地に遷座してきた。

ウィキペディアには

 貞観年間(859年 - 877年)の間に創建されたとされる[2]。最初は比叡山麓、赤山明神の付近に祀られていたが応仁の乱の兵火で罹災し、今の修学院離宮の山林中に移されたが、離宮造営の為、霊元天皇の思召しにより現在の鷺の社に社地を賜り、元禄2年6月御遷座になり修学院、山端の氏神社として今日に至っている。 今では森林浴や紅葉の名所[2]としても知られるようになってきている。

鷺森神社 由緒 京都市左京区

   

 

長い参道、春には山桜が咲き、秋には紅葉。桜と紅葉の名所。

Googleマップで見ると鷺森神社に続くまっすぐの道が見える。

これが参道。

この参道は、18世紀に整備された。

鷺森神社 参道 京都市左京区

参道沿いには山桜の木や紅葉がたくさん植えられていた。

紅葉の頃に来ると参道が紅葉のトンネルになるかもしれない。

そして桜も

鷺森神社 参道 桜 京都市左京区

歩いて行くと突き当りに到着したが。

この参道の突き当りに本殿はなかった。

右手の方に拝殿が見えた。本殿は回り込んでいかないといけないようだ。

上の写真の看板の生垣の向こうに、北の方へ抜ける道があった。

鷺森神社 参道

社務所

突き当りの横に社務所があった。社務所を右に実ながら歩くと、その先に手水舎があった。

手水舎

鷺森神社 手水舎

鷺森神社 手水舎

本殿

鷺森神社 本殿

本殿前には、四柱の祠があった。

住吉大明神、八幡太神

天照皇太神宮、熊野皇太神

本殿に上がる階段の両側に盛砂があった。

拝殿

本殿前から拝殿

 

八重垣

本殿に上がる階段の向かって右の方に、「八重垣」があった。

良縁・夫婦和合のお守り。社務所で買う。

 

御祭神、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治して櫛稲田比売を助け妻に迎えるために新しい家を建てたときに詠まれた日本最古の和歌にちなみ「八重垣」と名付けられた石。

詠まれた和歌は

八雲立つ出雲八重垣

妻籠に八重垣つくる

その八重垣

「八重の雲がわきおこる出雲の地にて妻を籠らせる家に八重の垣根を作り、しっかり妻を守って幸せに暮らしていこうぞ」という意味。

 

区民の誇りの木 スギ(御神木?)

手水舎の向いに大きな杉の木があった。

説明に「区民の誇りの木 スギ」と書いてあった。

   

 

御幸橋

スギの木の横にも参道があった。この参道は林の中を通る道だった。

この道には石の橋があった。

鷺森神社

この石の橋は「御幸橋」という。

説明書きには

その昔、修学院離宮正面入口の音羽川に架設され後水尾上皇、霊元法皇も行幸のみぎりに通られた名橋です。
昭和四十二年当社本殿改築の際、請願により下賜され、社宝として宮川に架設しております。

橋の下の流れは、

御幸橋を渡り少し歩いてみると、御幸橋と拝殿と本殿がまっすぐに並んで見えた。

鷺森神社 

御幸橋から林の中の道

こちらの道が、正式な参道とされるのだろうか?

本殿前から拝殿を通しして御幸橋の道

 

御幸橋から林の中の道は一度突き当り、民家の横の狭い道を通り広い道(曼殊院道)に出た。
広いといってもセンターラインのない道。

境内にも曼殊院門跡へ案内看板があった。

曼殊院門跡へ誘導されているようだった。

 

photo.talk-turkey.com