哲学の道
京都で北に流れる水の流れは珍しい。
哲学の道を流れる疏水が、北へ流れている水の流れ。
哲学の道は歩いたことがある。
哲学道の最南端は若王子橋。
松ヶ崎浄水場の若王子貯水池の敷地のすぐ隣にある。
2022年6月5日撮影
2021年3月27日
この流れは、蹴上から南禅寺水路閣を通って、扇ダムを越して松ヶ崎浄水場若王子貯水池に流れる。
哲学の道を流れる疏水はさらに流れが続く。
哲学道を流れる疏水の先と終点を見てみたかった。
哲学の道の流れは銀閣寺のあたりから、今出川通りの北側を流れるyいうぬなえう。
哲学の道の道も名前を変えて、白川疏水通りとなる。
今出川通りから御蔭通りまで
1、白川疎水の土手
今出川通りから北への疏水はどんな情景だろうか。
今出川通りを銀閣寺に向かって歩いた。
吉田神社北参道の前あたりにある志賀越通の分岐点を過ぎて、今出川通りは緩い上りになる。白川通りが近くなると、歩道の横に並んでいた家並みが白川疏水の土手になる。
今出川通りは、この先で土手と同じ高さになる。
このあたりから、大文字山がよく見える。
2、ここから歩き始め。
3、志賀越道と交差
疏水の流れは、今出川通りから分岐した志賀越通をくぐり西に進み、北上する。
志賀越通までは、疏水の流れは志賀越道より高く。
↓志賀越道より。高い木のあるところが疎水の土手。
↓この先が先ほど通った今出川通り
志賀越道を越すために、流れは高さを落とす。
その先は、
志賀越道から先は、緑豊かな遊歩道のような道が御蔭通りまで続く。
疎水が志賀越道をくぐって流れ出てくる。
疏水に架かる橋。
この疏水には小さな橋がいくつもかかっていた。
近隣の住民のためにかけられた橋だろう。
そして、珍しくことに、その橋のほとんどには、名前がつけられていた。
4、小倉橋(志賀越道から一本目)
小倉橋から、流れは細い。溝のようだ。
5、新小倉橋(小倉橋の次)
6,小倉北橋(新小倉橋の次)
小倉北橋はこの道に続いている。
緑豊かな白川疎水通り
7,御蔭通り(東御蔭橋)(小倉北橋の次)
来た道を振り返ると。
御蔭通り(東御蔭橋)から東鞍馬口通り(西伊織橋)まで
御蔭通りを過ぎると疏水の雰囲気は変わる。疎水沿いに歩道がある。ここは自転車通子いう禁止となっている。今まで通ってきた疎水沿いの道は自転車通行禁止だった。
住宅地を流れる川になる。
住宅地に流れる川では、よくペットボトルやスーパーの袋やカップ麺カップなどが流れていることがよくある。
しかし、この疏水は、とてもきれいだ。普通の住宅地に流れる川のように異物が流れていない。周辺の人がこの疏水を大切にしているようだ。
来た方振り返って。
8,東蔦橋
今は枯れているが、この辺りも桜の木が植わっているのだろう。春には、桜と疎水がいい感じになるのかも?
9、西瀬ノ内橋
10,平井橋
この橋から先は、風景がかわる。住宅地から緑豊かな遊歩道のようになる。
11,駒井家住宅
平井橋を過ぎて、少し歩くと、「駒井住宅」がある。この日は、貸し切りで入れなかったが、普段は入ることができるようだ。
駒井家住宅(こまいけじゅうたく)は、昭和2年(1927年)に遺伝学の権威京都帝国大学理学部教授駒井卓博士の自邸として京都・琵琶湖疏水分線の畔にウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により建てられた近代洋風建築である。 平成14年(2002年)に遺族より土地・建物を寄贈された財団法人日本ナショナルトラストおよびアメニティ2000協会が管理し、駒井卓・静江記念館として一般に公開している。 (ウィキペディア「駒井家住宅」より)
12,伊織橋
13,この先に、東鞍馬口通りがある。
たくさん写真を撮ったので、今回はここまで。