夕陽丘
大阪の天王寺区に夕陽丘という地名がある。前回の記事天王寺七(八)坂の辺りで、坂で言うと、学園坂から愛染坂の間が夕陽丘町だ。接する谷町筋を通る大阪メトロ谷町線の駅名に「四天王寺前夕陽ヶ丘」という長い名前の駅がある。
夕陽丘町は上町台地の西斜面に位置し大阪湾の望めたようだ。
上町台地はかつて、半島のようだった。東西両側が海に囲まれていた。
大江神社 夕陽岡の石碑
愛染坂の横のある大江神社には「夕陽岡」の石碑がある。
大江神社に上がる「百歳の階段」を上がったりところの横にあった。
この神社は高台にあり、西側(松屋町筋)は開けていた。江戸時代には愛染坂を隔てて今の星光学園あたりには、「浮瀬亭」という大阪で有名な料亭があったようだ。その説明に、このあたりの近くまで海岸線があり、大阪湾を行き来する船や遠く淡路島も見えたと書かれていた。この神社からの夕陽が綺麗に見えたのだろう。今でも、低いお寺や民家が立ち並んでいるが、松屋町より先は高い建物が建っていた。当時のような夕日は今は望めそうになかった。
下の写真の左が「百歳の階段」を上がって夕陽岡の石碑の横に白いテントがかけられている建物がある。斜面にせり出していた。今は入れないようにロープが張られていた。かつてはここから夕陽を眺めることができたのかもしれない。
ここの神社は猫が多くいた。上の「百歳の階段」の写真は猫が階段の下を見ているところを撮った。
浮瀬(うかむせ)亭跡
愛染坂を下っていると「浮瀬亭(うかむせ)」跡の看板があった。看板がかかっている塀の中の大阪星光学園敷地内にあったようだ。看板に書かれている内容を読むと、江戸時代の大阪を代表する料亭だったようだ。総二階の大きな料理屋で、江戸時代は海岸線も近く視界を遮る建物もなく、大阪湾を船や、遠く淡路島まで見渡せたそうだ。清光院や四天王寺に参詣する人を目当てに開業したとも書かれている。
このあたりも夕陽がキレイに見れたのだろう。
有栖山清光院清水寺
京都の清水寺を模して建立されたため、新清水寺と呼ばれている。詳名は「有栖山清光院清水寺」。四天王寺の支院。宗教法人としては清光院。
前にも書いたが、京都の清水寺を模したとあって、舞台も滝もあった。
ここは、夕陽ヶ丘ではなく伶人町にあるが、舞台からは、夕陽がよく見えそうだ。
下から見ると(一週間あとぐらいに近くを通ったので下から撮った)