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東京には乃木坂や欅坂など名前の付いた坂は多くありそうだ。大阪にも名前の付いた坂はある。
上町台地の天王寺駅より北にある茶臼山のより北側にから生玉神社の間で寺が集まったエリアがある。大阪の寺町だ。そのエリアに「天王寺七坂」がある。古くからあるようだ。比較的新しそうな坂の学園坂を含めて八坂とも言うようだ。
北から
真言坂
源聖寺坂
学園坂
口縄坂
愛染坂
清水坂
天神坂
逢坂
これらの坂があるあたりは上町台地の西端。七坂の多くは西に下っている。下りきったところはかつては海岸線のところもあったようだ。
この日は、仕事終わりに、大阪メトロ谷町線 「谷町九丁目」駅から歩き出し、天王寺七(八)坂とその周辺を散策した。距離としては、4kmほどの散歩だった。
真言坂
千日前通り下り坂を難波の方に向けて下っていくとある。生玉神社の北門に続く坂道だ。短い緩い登り坂だ。石っぽいコンクリートのタイルが敷かれていた。これだけで、他の坂とはちょっと違うように感じる。短い坂をあがると生玉神社の朱色の北門がある。
生國魂神社の神宮寺であった法生寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで、神社周辺で、栄えていた。うち、神社の北側には、医王寺・観音寺・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅印の六坊があった。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれた。
(現地説明板より)
生玉神社
お正月はすごい賑わいだった。
源聖寺坂
生玉神社にお参りしてから、次の坂・源聖寺坂へ向かった。この坂は西に向かって下っていいた。下り口から南に向かう広い道路の両側にはお寺の白壁が続いていた。かつては寺町と呼ばれた雰囲気は残っていた。閑静で京都を思わせる雰囲気があった。
この坂は登り口に源聖寺があるので、その名をとっている。付近一帯は寺町として長い歴史を持つ。輪延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡、同南岳父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくる<>お千代、半兵衛の比翼塚が立てられている。
(現地説明板より)
坂は、松屋町筋まで続くこの坂は細く、一部階段になっている石畳の坂だった 。天王寺七(八)坂の中では、一番当時の雰囲気を残す坂かのように思う。
学園坂
この坂は、他の坂と違う。車や人の行き来が多い坂だ。他の坂は、車が通行できなようになっている。松屋町筋から谷町筋までゆっくりとカーブを描いて上がっていく坂だ。坂の名前通り、この坂沿いに大阪夕陽丘学園短期大学や高校がある。
松屋町筋 この筋沿にお寺が並んでいる。
学園坂
上がりきったところに夕日丘学園があった。
そして谷町筋「六万体」交差点に行き着く。
口縄坂
学園坂を上がって、谷町筋に出て、右に回り最初に角を曲がるとあった。
坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名がつけられたという。
付近の浄春寺には暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。また、梅旧院には芭蕉の供養の碑も見られる。
(現地説明板より)
坂の片側が工事でもしているのだろうか、崩れたのだろうか?。この辺りでもそこそこ標高差があるのだろう。
愛染坂
松屋町筋を歩いていると、路地の奥に大江神社の鳥居が見えた。
愛染坂はその横にあった。大江神社に行くにはは百瀬(ももとせ)の階段を上らないと行けない。百一段あるようだ。数えながら上がったが最後途中で忘れてしまった。
大江神社を参拝して、上がってきたのとは反対の鳥居から出た。出たところに愛染坂がの下り口があった。近くに「愛染さん」があった。
愛染坂の説明書きには
その名のとおり、坂の下り口にある愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)から名付けられた愛染さんの夏祭(六月三十日)は大阪夏祭りの先駆けとして、知られ、境内の多宝塔は、市内最古の(文禄三年)の建造物で、重要文化財と指定されている。大江神社には「夕陽岡」の碑があり、このあたりからの夕焼けは今も美しい。
(現地説明板より)
大江神社を出るとすぐ愛染があった。大江神社の鳥居の横が、愛染坂の下り口だ。
愛染さん
愛染坂
百瀬の階段を上がった大江神社を横に見ながら下っていく。
この坂で坂を駆け上がる練習をしている人がいた。息を切らしながら坂を駆け上がってきて、歩いて下りて、そしてまた駆け上がるを繰り返していた。近くに学校が多くあるので、学生さんかな?
途中に、料亭「浮瀬亭」の跡の案内看板があった。
清水坂
大阪にも清水寺があった。そのお寺に登る坂。
新清水清光院に登る坂をいう。高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で、さらに境内南側のがけから流れ出る田出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金滝、亀井の清水は七名泉と呼ばれている。
(現地説明板より)
綺麗に整備された坂、全て階段。新興住宅地の階段ようだった。
この坂を動画を撮りながら上がろうとしていたら、愛染坂で駆け上がっていた人が、今度はここで駆け上がりの練習をし始めた。ついてきたのか!たまたまか?
「浮瀬(うかむせ)亭」の説明に、当時の清水坂から撮った写真が載っていた。
あがるとそこのは新清水寺の碑があった。
説明書きでは、新清水清光院とあるが、地図では「有栖山 清光院 清水寺」となっている。 お寺の入り口も「 清光院 清水寺」となっていた。大阪にも清水寺があった。同じように舞台も京都の清水寺の音羽の滝のような滝もあった。
清水寺
上町台地こ斜面にあるので見晴らしの良いところにある。
改装工事中のようだ。墓所は綺麗に整備された真新しい。ここには、清水の舞台もある。京都の清水寺のような大規模な木造ではなく、コンクリート造のテラスのような舞台だった。
通天閣とハルカスがよく見えた。
そして、京都の清水寺にある音羽の滝のような滝もあった。大阪市内では唯一の滝かな。清水坂に説明にもあったように、この辺りは名泉の出るところのようで、7つあり七名泉と言われているようだ。その七名泉のひとつがこの神社にある。
天神坂
安居天神へ通ずる坂道なので、このように呼ばれている。この神社境内には大阪夏の陣に真田幸村が戦死したところで、本殿わきに「真田幸村戦死跡之碑」がある。また、同境内すく下には七名泉のひとつ安居の清水があり、「かんしづめの井」(癇静め)とも呼ばれ、よく知られている。
(現地説明板より)
この近くには大阪夏の陣、冬の陣で合戦舞台になった茶臼山がある。このあたりは激戦が繰り返されたのだろう。この坂が続く安居神社には、「眞田幸村陣歿の旧跡」がある。
眞田幸村陣歿の旧跡
かんしづめの井
七名泉の一つ。
かつては、この井戸まで行くことができたようだが、下りる階段が通れなくなっていた。劣化か地震か大雨かの影響で通るのが危険なようだ。
逢坂
国道25号線がとおっていた。南には「一心寺」があった。その南は茶臼山・天王寺公園となっている。夏の陣の激戦が繰り広げられたところだ。
天王寺区松屋町筋終点、いわゆる合法ケ辻から東へ上がって四天王寺西門に至る坂である。逢坂は、逢坂の責になぞらえてよんだものとも、他説では聖徳太子と物部守屋の二人が信じる方法を比べ合わせたと言われた「合法四会」に近いことにより合坂と名づけられたなど諸説がある。
(現地説明板より)
地図
この日は、大阪メトロ谷町線「谷町九丁目」駅から天王寺七坂とその周辺を歩いた。
Googleマップでは4.24kmの散歩だった。
動画
参照
「現地説明板」: 7つの坂の入り口には、上と下両方に坂の名前が付けられた理由や周辺の史跡などの案内が書かれて説明板が立てられている。