★★★目次★★★
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■散歩しりとり
熊野街道を歩こうとして、天満橋近くの八軒家船着場・渡辺津から歩きだした。歩いていると「天王寺七坂」があるのを知り、
次はそこに行って、歩いていた。すると、天神坂の安居神社が真田幸村の最期のところというの知った。
大阪メトロ谷町線の天満橋から天王寺駅まで辿り着いた。散歩のしりとりをしているようだった。
■茶臼山
大阪に住んで半世紀以上になるが、茶臼山は行ったことはなかった。
「じゃんりんこチエ」の主題にも出てくる茶臼山。
「トラのふんどし ヒグマのパッチ
ムカデのハブラシ ぶらさげて
チャブスやま(茶臼山)でドンコつり・・・」
よく観ていた。「チャプスやま」は「茶臼山」と聴こえていた。
同じのようなのでいいとして。
天王寺公園から歩きだした。
この日は「春節」の最中、天王寺公園の天芝広場では、春節のイベントが行われていた。
中国ムードたっぷりだった。中国の町の香りがした。
この博物館から通天閣がよく見えた。
博物館を過ぎると茶臼山も近い。
下の写真の小高いのが茶臼山。
手前の池は河底池。
茶臼山は天王寺公園の北にあり、通天閣のある新世界のすぐ近くにある。
茶臼山は、山と言っても岡のようなもの。標高は25m。山頂に石碑がある。
■大阪の陣
茶臼山あたりは大阪の陣では激戦地だった。
平らな大阪の土地にあって小高い丘は戦略的に重要なポイントだったのだろう。
大阪冬の陣では、徳川家康
大阪夏の陣では、豊臣側の真田幸村
が茶臼山で陣を張ったようだ。
山頂の直方体の石碑には
南面には冬の陣で大阪城の方を向いて布陣した徳川の家紋
北面には夏の陣で南からくる徳川軍に対峙した真田の家紋が描かれていた。
この辺りは、大阪の陣の史跡の碑が点在している。
山の麓には、
別の上り口の近くでは、
山頂には、山頂の石碑のほかに、真田幸村の名言が書かれたの看板や、大阪の陣の配置が書かれた地図もあった。
茶臼山は大阪の陣の史跡として、訪れる人が絶たない。
■茶臼山は古墳?
茶臼山は、古墳。地図を見ていても古墳と書かれている。
しかし、山頂手前に茶臼山について説明している看板がある。
これによると、茶臼山は古墳という説もあるが、和気清麻呂が東西に渡る運河を作ろうとした。茶臼山は、その掘った土の山で、河底池はその名残という説もあるようだ。
河底池のある辺りは、谷町筋が天王寺手前で大きく降る坂になってちょうど底になる谷筋あたりだ。谷筋になる感じだ。低くなっているため、運河も作りやすい場所だ。意外と運河を掘った土という説が、あっているかもしれない。茶臼山で石室が見つかったという話もない。現地では古墳についてのものは見つけられなかった。
■一心寺
大阪では有名なお寺だと思う。行ったことがないが、父が何が一心寺のことを言っていたような覚えがある。茶臼山の後行ってみた。大きいお寺だった。たくさんの人が参拝していた。ちょっと北に生玉神社があるが、それ以上。境内以外にも周辺に一心寺関係の施設がたくさんあった。
茶臼山を出たところに一心寺が設けた休憩所があった。そこには、大阪の陣の布陣の絵を拡大したものがあった。大阪の陣の布陣の様子がよくわかった。夕陽丘の散歩マップやらがあり、この辺りの散策には一度ここで資料を集めてすると面白いかもしれない。
大阪の陣では一心寺も巻き込まれた。この歴史を紹介する休憩所を設けて一心寺にどれだけのメリットがあるかはわからないが、とてもありがたい。一心寺への好意は感じた。
■地図
■動画
今回も長くなったので、このあたりで終わって、続きはあと少しだけど、次回に。