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■安居神社(真田幸村最期の地)
真田幸村終焉の地
ここは真田幸村の最期の地のようだ。幸村の像もある。
大阪夏の陣で真田の兵は徳川家康の陣まで迫ったが、東軍(徳川軍)の数に圧倒されて押し返され、茶臼山すぐ北の安居神社で最期を迎えたのだろう。茶臼山と目と鼻の先にある。押し返されて逃げ切ることができなかったのか?
もし、あと一歩、家康の本陣まで踏み込めたら、どうなっていただろう。
かんしずめの井
前にも書いたが、天王寺界隈には名泉がいくつかあったようだ。安居神社にも、「かんしずめの井」がある。行った時に、他の井も探そうと思ったが、どうもわからなかった。
「かん」という言葉の響きは、懐かしいというのはおかしいが、昔を思い出させる響きがある。樋屋奇応丸のCMで「かんの虫」とよく聞いた覚えがある。今YouTubeであるCMよりもっと前のCM。また、赤ちゃんが夜泣きを「かんの虫」のせいと言われた。今も昔も赤ちゃんの「夜泣き」や子供癇癪には手を焼く。大きくなって「なんで泣いたか?」聞いても子供自身もなぜかはわからない。
ここ井戸の水は、その癇をしずめたといういわれがあったのだろう。今は、近くまで行く階段が通れず、近くまでともできない。もう、枯れているかもしれない。
■慶沢園
元は住友家の茶臼山本邸庭園として、1918年(大正7年)に完成した。1908年(明治41年)に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始されて以来、完成までに10年を費やしている。大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式(林泉回遊式)で、全国から名石・名木を集めた広大な庭園となっている。(ウィキペディア「慶沢園」より)
ウィキペディアの説明にもあるように、この庭園は真ん中あたりに池があり、その池の周りを散策して庭を愛でるようになっている。歩いていると見える風景も変わった。池に張り出した四阿(あずまや)もあった。四阿というが、四方を壁があり広い窓があった。入って造りを見ると、昭和の雰囲気があった。子供の頃見た覚えのある造りだった。
ここで面白いと思ったのは、池にあべのハルカス上層部がきれいに映っているところだった。
■追記
前回紹介した天王寺七(八)坂の清水坂のしたをあるいてみた。舞台はどんなのかなと。
■地図
■動画