御朱印

最近御朱印帳を買った。

行った神社仏閣で朱印をもらったりしている。

インスタを見ていると時々、御朱印の写真が上がっているの見かける。あまりそれはしたいと思わない。

手書き墨文字に朱印が押しているのを見ると。味わいがあっていいなと思う。綺麗な墨文字は見ていて飽きない。霊験あらたかな感じがする。

だからと言って、収集するために走る回ることはしない。

 

一つの神社やお寺でも種類が色々あったり、季節によって変わるところもあるので、行くたびに、違う朱印をもらうことができる。そのために行くことはしないが、行ったときに、新しい朱印をもらえるのはうれしい。

朱印帳には特に作法があるわけではないようだ。人それぞれだと思う。集めることに執心しているひともいるかもしれない。否定するつもりはない。気持ちだと思う。
それぞれの気持ちで、いろいろな朱印の集め方をしている。行く神社やお寺ごとに、宗派ごとに朱印帳を分けている人もいるようだ。朱印帳の片面だけ使う人も両面使う人いたりなど、それぞれ人によって違うようだ。今持っている朱印を大事に持っていたいと思う。朱印帳両面を使うかもしれない。

また、普段は、家の高いところに於いている人もいるようだ。自分は朱印帳は大切に扱おうと、よごれたり破れたり内容に、専用の入れ物を買って、そこに入れて、大事に常にカバンに入れて身の近くにおいている。

 

   


しかし、集めるだけが、目的ではない。御朱印には意味がある。スタンプラリーのように集めたりすることを目的にするようなものではないと思っている。

「くろ谷 金戒光明寺」で朱印をもらった時に、お納経(ご朱印)の由来」と書かれて紙が挟んでんあった。ご朱印帳の意味につながるものだと思う。

・・・ 現在は、巡拝者が各霊場にお経を写経して納めるか、または霊場で読経をした証として、札所にてご本尊の宝印を授かるようになりました。納経帳と・おいづる・納経軸のいずれにいただいてもよく、印影が朱色ですから「ご朱印」とも言います。

 決して観光記念の「スタンプ」ではありません。この宝印を授かるということは、お参りされたみ仏の御分身を頂くのと同じ意味で、ご自身のお守りとして大切にご奉持ください。また、命終のとき棺の中に納経帳を収め、極楽往生の冥福を祈る風習もあります。

とあった。確かに観光記念スタンプではないと思う。観光記念スタンプのつもりで集めるのは、とても不遜なことだと思うから、今まで、集めなかった。それも、人それぞれ。


 京都に散歩によく行くので、神社やお寺にお参りする機会が多くなり、そこで、写真を撮らせてもらったりする。当然、お参りした時は、お賽銭を必ず入れる。これで、朱印を頂くことは、少しでも、そのお礼になればと思うところもあるが、そして、それぞれの神様・仏様の分身を持ち帰らせてもらうという気持ちもある。おみくじやお守りでもいいのかもしれないが、おみくじやお守りだと、ついついぞんざいに扱ってしまいがちになった。あまりいいと思っていない。朱印は、見ていて、いいなと思い、見返したりする上に、大事に扱うようになる。

自分は日本人一般のように、特に決まった宗教を信心しているのではない。日常生活のひとつに、宗教を見つめる時間を持つことも必要かと思っている。それにより、心のゆとりが生まれ、あまりいい話の聞かない現実を見つめなおすことができるかもしれないと思っている。ただん、御朱印集めを勧めるつもりはない。

 

   

 

先日、東山の霊鑑寺に行った。春の特別公開のころ。特別公開なので、御朱印も頂こうかと思った。それが、なんと40分待ち。特別公開で人手が足りないのか、御朱印の受付は、お寺の子供さんだろうか小学生っぽい女の子だった。その奥にも何人かいた。横では役僧?さんが一生懸命御朱印を書いていていた。とても機嫌が悪そう。受付の子が声をかけると「なんじゃい」という感じだった。朱印帳ができたと番号が呼ばれて、受け取りに来たのは海外の観光客だった。

普段は公開していないお寺で、年に二回ほどだから、御朱印を欲しいと思う人も多いのだろう。40分待つか?と思つつ朱印帳を差し出した。相手は受け取ろうとしない。その子もこちらにためらいがあるのわかってか?書かないといけない御朱印すっごく溜まって、役僧さんの気持ちを子供ながら忖度したのか、受け取ろうとしなかった。「じゃいいです」と引っ込めて、次に向かった。

書き入れ時だから、大変だよね。どこの神社もお寺も多少はなんらかの寄付や布施はあるにしても、それで、必要な維持費が十分賄えないかもしれない。ご住職や役僧さんには家族があるはず、生計維持できた上で、施設の維持をしないといけない宗教だから特別扱いされない時代。金を集が必要。商売的になるのも仕方ないかと思う。

 

多くの人が朱印を集め始めると待たないといけないので困る。無理なら、無理せず、諦める。

確か、知恩院でも行列ができていた。

あまり気にしすぎるとしんどいので、あれば、あるように、なければ、ないようにしていかないと、突っ張っていても、しんどいだけだと思う。

ゴールデンウィークも始まる。朱印がいくらか増えるだろうか?