散歩と写真(京都・大阪・・)

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吉田山 神楽岡(平安京の設計のポイントでもあったか?)& 吉田神社(明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。伊勢神宮より格上と称した?)  2019(31)0421

★★★目次★★★

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吉田山は出町柳から歩いて、哲学の道へ行くときによくとおた。吉田神社前を通り、山影神社前、大元宮、竹中稲荷神社の前をとって、

吉田山

山と言えばいいのか、岡と言えばいいのか。東山から少し西に離れたところに、京都盆地ポツンと浮かぶ小島のような吉田山がある。

この山の標高は、102mほどと言われているが、山頂休憩広場から少し降りた広場にある三角点で105.12mある。大文字山[如意ヶ嶽]より相当低い。

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山歩きの人が使う地図ソフト(カシミール)で調べてみると、山頂あたりは121mと書いてあった。しかし、下に立った時は、高く感じない。山の入り口のひとつの吉田神社への上がり口あたりの標高が56mほどなので、標高差は65mほど。

この山も東山三十六峰の一つ。

この山の西の麓に京大がある。吉田神社の参道である東一条通り両側には京都大学が並んでいる。

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山頂休憩広場

標高121m山頂近くに山頂休憩所から大文字山[如意ヶ嶽](465.3m)が見えると位置関係にある。

行った時は、大文字山側は木が茂り、大文字山のてっぺんが少し見えただけだ。以前はもっと良く見えたのだろう。

↓なんとなく、大文字山のてっぺんが少し見えているようだ。

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山頂休憩広場には東屋がある。
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この山の西側に中腹に吉田神社がある。吉田神社の摂社や末社がこの山の西側に点在している。南に宗忠神社がある。東側には住宅地広がっている。北は木が茂る公園、散歩に丁度いい。山頂休憩広場は北側にある。

 

 「茂庵」というカフェがあった。山の東斜面に小屋がとあった。

www.mo-an.com

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吉田神社

吉田神社。旧社格官幣中社 現在は神社本庁別表神社

室町時代末期に吉田兼具が吉田神道(唯一神道)を創始。境内に末社斎場大元宮を建立。近世始めに吉田兼見がかつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿を境内の斎場に移し、神祇代とした。江戸時代には諸社禰宜神主法度により、吉田家は、全国の神社の神職の任命権など与えられた。明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。

吉田神社の参道の石碑が、東大路通東一条通の交差点にある。鳥居まで、わりと距離がある。両側には京大施設が並んでいる。

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京大と吉田神社神社近くにあるので、縁があるのかなと思った。「京大と吉田神社」で検索してみた。

吉田神社に参拝すると京大は不合格になる。」というページが一番上に来ていた。京大での笑い話のような話とのことだが・・・。

吉田神社鳥居

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さらにもうひとつ鳥居がある。
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鳥居の手前に、手水舎 横の鳥居から階段を上がって行くと吉田神社
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吉田神社の摂社や末社が点在している。

境内に案内看板があった。

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祖霊社(末社)

吉田神社社員の先祖の奉祀している。

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今宮社(末社)

鳥居をくぐり、階段手前に今宮社。

鎮座の年代は不詳。1215年順徳天皇建保3年には、「吉田小社」という記録が、註進状に見られるようだ。

1816年光格天皇文化13年に現在地に造営された。木瓜大明神として吉田町の産土神(うぶすながみ)である。

産土神:その人が生まれた土地を守る神。鎮守の神。
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本殿周り三方に四神石がある。

南東:青龍石、南西:白虎石、北西:玄武石。東北に朱雀石があるようだが。内陣(※)にあるようだ。朱雀石だけは見つけることができなかった。

方位が四神相応とは並びが違うようだ。朱雀が北に行ってしまっている。

青龍は東、白虎は西、玄武は北、朱雀は南のはずだが。

※内陣:本殿内部において神体を安置する場所。
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少し上の大元社と山蔭神社の間に旧若宮社の碑がある。かつては、もっと山の上にあったのだろうか?

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神楽岡社(摂社)

吉田神社の東の高いところにある。この辺り一帯の地名に吉田神楽岡町という。神楽岡町の氏神。雷除けの神として崇敬が厚かったようだ。

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若宮社(摂社)

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 神竜社(末社)

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 菓祖社(末社)

お菓子の神社。玉垣に有名なお菓子の会社の名前があった。

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山陰神社(末社) 料理飲食の神。

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玉垣には。関西では有名な店の名前が並んでいた。
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大元社(末社)

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正式には「斎場所大元宮」(さいじょうしょだいげんぐう)という吉田神社末社である。現代ではいくつかある末社のうちの一つの扱いであるが、明治に入るまでは吉田神社の信仰の中心であった。

 主祭神虚無太元尊神の周りには、その虚無太元尊神の作用によって生じた天神地祇八百万大神の他、全国の神々を祀っている。この大元宮を拝むことは日本中の全ての神社を拝んだことに等しいとし、神社自体の格も伊勢神宮よりも上であるとした。 まさに吉田神道の考えをそのまま形に表した吉田神道の根元殿堂といえる。(ウィキペディア吉田神社」より)

 

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 竹中稲荷神社(末社)

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横には天満宮が並んである。
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この神社から少し上がると、三角点のある広場に行くことができる。

 


吉田神社 神楽岡 2019年(平成31年)4月21日(日)

 

京都盆地に浮かぶ三つの山

吉田山のように京都盆地に浮かぶようにある山がほかにもある。紫野あたりにある船岡山、御室のある双ヶ岡。この3つの山が、平安京の造営の基準になったという話がある。

船岡山の位置が朱雀大路にあたり。吉田山と双ヶ岡を結ぶ線が内裏の位置の基準、内裏の北の端一条通りのラインになる。

 

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