京都散歩 新日吉神社ー妙法院ー若宮八幡宮ー御所八幡宮ー白山神社ー革堂行願寺 2024年1月8日

もう1ヶ月以上前の話になるが、

松の内が明けた次の日。学校なら始業式の日?。

一月の第二月曜日なので、成人の日で祝日。

そして、長い正月休みの最終日。

 

一週間以上ぶりに、京都に行った。

この日も、まずは、洛陽天満宮二十五社巡拝の天満宮を巡るのが目的のひとつ。

お参りしたところは、それぞれ紹介したが、それでは紹介しきれないところもあったので、この日の行程を紹介しつつ紹介できればと思う。

 

京都を歩けば、何かに行き当たる。

七条通りー新日吉神社ー妙法寺ー若宮八幡宮

京阪電車「七条」駅で下車。

七条大橋

七条通りを東にゆるい坂を上がり、最初の目的地「飛梅天満宮」のある新日吉神社へ。

七条通りの京阪「七条」駅から東は、ゆっくり上がっていく坂。
道が波打っているような感じがあり、この景色が気に入っている。
後ろ見える山は、阿弥陀ケ峰・頂上あたりに豊国廟がある。突き当りは、智積院。

七条通り

人それぞれ好みがあって、自分はこうした道の様子などに興味がある。

 

この七条通りを突き当った七条東大路からさらに上がると豊国廟の一の鳥居があった。
この鳥居は(下の写真)Googleマップではかつては「豊国廟一の鳥居」とあったが・・・。今はその表記がGoogleマップで見つけることができない。

その鳥居の横に、新日吉神社がある。

読み方は、「いまひえじんじぐう」。

しばらく「しんひよしじんぐう」思っていた。

この 近くには「新」を「いま」と読ませる寺社がある。

「新熊野神社」は「いまくまのじんじゃ」

「新熊野観音寺」「いまくまのかんのんじ」

新日吉神宮

新日吉神社(いまひえじんじゃ)

photo.talk-turkey.com

新日吉神社へ。ここには「洛陽天満宮二十五社巡拝」の「飛梅天満宮」がある。

新日吉神社 飛梅天満宮

新日吉神社横の鳥居からの眺め

新日吉神社の横の鳥居から来た方を振り向くと、京都の街並みが見える。

この坂を下り切ったところに、「妙法院門跡」があった。
ホテルの敷地かと思っていた。

坂を下りきる手前に「源氏物語ゆかりの地」の案内があった。

源氏物語ゆかりの地「鳥辺野(とりべの)」

源氏物語ゆかりの地 鳥辺野

源氏物語ゆかりの地 鳥辺野(とりべの)

鳥辺野は、平安時代の葬送地だったところ。五条より少し北にある「六堂珍皇寺」は鳥辺野の入口と言われていた。このあたりは、鳥辺野のど真ん中あたりになるのではと思う。

源氏物語では、急死した夕顔や葵上が鳥辺野で荼毘に付されたことが描かれているようだ。

妙法院門跡

入り口は、東大路通り沿いにあった。ホテルと同じところにあった。

左の建物は、ホテル。
妙成寺入り口

妙法寺本堂 普賢堂

今庫裏(くり)の改修工事中だった。

妙法院門跡を出て、東大路通りを五条の方に向かって歩いた。

 

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若宮八幡宮

東大路を北進み、五条坂を下り、若宮八幡宮がある。

陶器神社ともいわれ、清水焼の発祥地だ。

若宮

五条通りでは、お盆の頃に「陶器市」が開催される。

ここには「若宮天満宮」がある。

Googleマップの表記は「阿波天満宮(末社)」となっていたので、

「阿波天満宮(末社)(若宮天満宮)」と表記変更を申請した。

 

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若宮八幡宮ー御所八幡宮

若宮八幡を出て、五条通りを西へ歩いた。

鴨川を渡り、河原和町通りを横切り、柳馬場通りを右に曲がり、北へ。
四条通り、三条通りを横切り、御池通りまで歩いた。

↓四条柳馬場
四条柳馬場

御所八幡宮

高倉通りと御池通りの交差点の南東角に御所八幡宮はあった。

御所八幡宮

↓御所八幡宮本殿

御所八幡宮

本殿は西向きだった。高倉通りから入ると本殿正面に出る。

ここにも、天満宮があるようなので、立ち寄った。

天満宮は、本殿の向かって右にこじんまりとあった。

御所八幡宮

御所八幡宮 天満宮

撫で牛があった。

御所八幡宮 天満宮

ここの天満宮は、「洛陽天満宮二十五社巡拝」の天満宮ではない。

ここは、八幡宮として有名なようだ。

この神社は、足利尊氏が自らの邸内の守護神として勧請したことに由来する。

 

元は御池堺町の西南角の御所八幡町にあった。

御池通りの強制疎開により今の地に移ったようだ。

第二次世界大戦末期の昭和20(1945)年に御池通の鴨川西岸から堀川通までの民家に対して,空襲からの類焼防止策のため疎開が実施されました。

そして,昭和22(1947)年に幅員50メートルの都市計画道路として活用することが定められ,事業の完了以降,京都の市内幹線道路として機能し,沿道には業務系の高層の建築などが建ち並びました。(京都市情報館「御池通りの概要」より) 

堺町通りは、高倉通から一本東の通り。

堺町通りと御池通りが交差するところは「丸木材木町」だが、疎開があったことを考えると、もう少し北にあったとしたら、今の御池通りの道路のあたりだろうか?

八幡の地名はないが、さらに東の柳馬場通りには「柳八幡町」という地名がある。

 

御所八幡宮のある高倉通りを御池通りを渡り少し北に行くと「等持寺町」がある。

この辺りが、尊氏の邸宅があったあたり。

足利尊氏邸・等持寺跡の碑が立っていた。横にある説明板には「室町幕府発祥の地」と書かれていた。

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2018年7月29日撮影

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御祭神

応神天皇・神功皇后・比売神

応神天皇と神功皇后は母子関係。若宮八幡宮も神功皇后にゆかりがある。

応神天皇と神功皇后は、神社の祭神になられているのをよく見かける。

比売大神は、八幡社では祀られる。

   

 

白山神社

最終目的地革堂行願寺を目指して、麩屋町通りを歩いていると・・・

神社があった。

「白山神社」とあった。

 

白山神社(京都)

こじんまりした神社だが、雰囲気が良かった。

白山神社(京都)

本殿の横に三柱が同じ社に祀られていた。

天満宮・白菊大神・猿田彦大神。

ここにも天満宮があった。

白山神社にお参りしたあと、最終目的の革堂行願寺を目指した。

 

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この日の行程の結果は

Googleマップで歩いた行程をトレースすると8.44㎞だった。

iPhoneでは、一日の合計だが、11.1kmだった。歩数は20,017歩。