本堂の提灯
本堂
一条かうどう石碑
門の前に「一条かうどう」という石碑があった。
このあたりは、一条からかなり南にある。
ここは竹屋町通り。京都の通りの歌「まるたけ・・」の「たけ」。「まる」は丸太町通り。
丸太町通りは、京都御苑の南端を通る。
一条は京都御苑の中にある京都御所の北の端ぐらいになる。
ここからずいぶん北だ。
なぜか?
この寺は、行円上人が1004年に一条小川に「一条北辺堂(いちじょうほくへんどう)」を復興して「行願寺(ぎょうがんじ)」と名づけたことにはじまる。
行願は、いっさいの人々の「願いを行じる」という願いがあるようだ。
革堂は、行円上人が、子を孕んだ鹿を射止めてしまったことを悔いて、その鹿の革をまとい鹿を哀れんだことから、革聖と呼ばれようになり革堂と呼ばれるようなった。1708年に大火のあとこの地に移されたそうだ。
今の建物は、1815年に建てられた。
一条にあった「革聖のお堂」ということで「一条こうどう」と言われるようになった。
楼門の前の石碑に「一条かうどう」とあるのは、その名残り。
門(山門)
寺町通りから
竹屋町通りから
革堂行願寺は竹屋町通りの東の突き当たりにある。
鎮宅霊符神堂
手水
手水は、コロナの影響か、て洗うとことこではなく、彩の場になったようだ。
寿老神堂
七福神石像
マフラーと毛糸の帽子を着ていた。
手前から、布袋尊・寿老神・福禄寿・弁財天・毘沙門天・大黒天・ゑびす神
石像の向いに、都七福神めぐりのカラフルな旗が立っていた。おそらくその順番だろう。
それぞれの石像は、表情豊かで、味わい深いと思った。
都七福神めぐり
これで、「都七福神めぐり」の6箇所目。
本当は全て回っているが。
「都七福神めぐり」では、6箇所目。
あとは、毘沙門天の東寺が残っている。
東寺には何度か行っている。
最後に行ったのが令和元年5月。令和なったばかりの時だ。
もう5年半ほど前になる。
そう思うと、時が経つのは早いもので、令和になってもう5年になるのだ。
地図アクセス。
京阪電車 神宮丸太町駅下車徒歩10分 京都市営地下鉄 京都市役所前駅下車徒歩約15分