革堂行願寺(こうどう ぎょうがん じ)都七福神まいり・寿老神・マフラーと帽子をかぶった七福神の石像 西国三十三所観音巡礼第十九番・洛陽三十三所観音巡礼第四番【京都市中京区】 20240108

本堂の提灯

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本堂

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一条かうどう石碑

一条かうどう


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門の前に「一条かうどう」という石碑があった。

このあたりは、一条からかなり南にある。

ここは竹屋町通り。京都の通りの歌「まるたけ・・」の「たけ」。「まる」は丸太町通り。

丸太町通りは、京都御苑の南端を通る。

一条は京都御苑の中にある京都御所の北の端ぐらいになる。

ここからずいぶん北だ。

なぜか?

この寺は、行円上人が1004年に一条小川に「一条北辺堂(いちじょうほくへんどう)」を復興して「行願寺(ぎょうがんじ)」と名づけたことにはじまる。
行願は、いっさいの人々の「願いを行じる」という願いがあるようだ。
革堂は、行円上人が、子を孕んだ鹿を射止めてしまったことを悔いて、その鹿の革をまとい鹿を哀れんだことから、革聖と呼ばれようになり革堂と呼ばれるようなった。1708年に大火のあとこの地に移されたそうだ。
今の建物は、1815年に建てられた。

一条にあった「革聖のお堂」ということで「一条こうどう」と言われるようになった。

楼門の前の石碑に「一条かうどう」とあるのは、その名残り。

門(山門)

寺町通りから
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竹屋町通りから

革堂行願寺は竹屋町通りの東の突き当たりにある。
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 鎮宅霊符神堂

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手水

手水は、コロナの影響か、て洗うとことこではなく、彩の場になったようだ。
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寿老神堂

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七福神石像

マフラーと毛糸の帽子を着ていた。

七福神石像・革堂行願寺 都七福神めぐり

手前から、布袋尊・寿老神・福禄寿・弁財天・毘沙門天・大黒天・ゑびす神

石像の向いに、都七福神めぐりのカラフルな旗が立っていた。おそらくその順番だろう。
都七福神まいりの旗 革堂行願寺

それぞれの石像は、表情豊かで、味わい深いと思った。

七福神石像・革堂行願寺 都七福神めぐり

都七福神めぐり

これで、「都七福神めぐり」の6箇所目。

本当は全て回っているが。

「都七福神めぐり」では、6箇所目。

あとは、毘沙門天の東寺が残っている。

東寺には何度か行っている。

最後に行ったのが令和元年5月。令和なったばかりの時だ。

もう5年半ほど前になる。

そう思うと、時が経つのは早いもので、令和になってもう5年になるのだ。

地図アクセス。

京阪電車 神宮丸太町駅下車徒歩10分 京都市営地下鉄 京都市役所前駅下車徒歩約15分