室町幕府はどこにあったのだろうか?
京都には間違いないが、京都には御所もある。
日本史で出てくる時代の多くは、時代の政治の中心の都市・場所に名前がついている。
安土桃山時代は 安土市と伏見 。
江戸時代は 江戸(今の東京) 大都市の旧名。
では室町は?
室町は京都にある南北の通りの名称。
京都の通りの唄の南北の唄に「・・からす・りょうがえ・むろ・・・」にも出来る京都に昔からある通り。
各時代に名前が付いたのは、明治になってからのようだ。
室町幕府だけが、通りの名前とあって、
京都の室町通りのどこにあるかと気になった。
時代の中心になったところは、何らかの史跡があったり、観光地になったりしている。
なぜか、室町時代の中心地は観光地になっていないし、
その痕跡もほとんどが残っていない。
なぜか?
室町時代は幕府の力が強くななかったから、よく戦は起きたから?
尊氏が天皇に逆らったからか?
天皇家を混乱させたから?
どうも、人気がないように思う。
尊氏が、後醍醐天皇側の新田義貞に負けて九州に敗走している間に、逆賊とされた。
自らが逆賊でないことを表明するために、後醍醐天皇と敵対する派持明院統の前天皇から勅をもらい自らの正当性を示そうとした。
これが、南北朝が生まれた大きな原因の一つでもある。
その後、天皇家での内訌続いた。
結局、尊氏も、南北朝の争いに悩まされ続けることになる。
南北朝の影響で自らの陣内でも内訌に悩まされた。
室町時代は、戦の多い時代だった。
最初は南北朝、最後は戦国時代。
京都人にとって前の大きな戦争というと室町時代にあった「応仁の乱」と言う笑い話ような話もある。
しかし、その間にも
花道、茶道、香道、能など今の日本の文化の根になるような文化が花開い時代でもあった。
禅の教えも広まったのは室町時代。
乱れた時代ではあったが、現代にも息づく文化が花開いた時代だった。
↓平成24年5月ごろ撮影
↓平成24年5月ごろ撮影
足利尊氏のころは、常に何等かの戦があったが、指示をだしたりするのは、私邸だったようだ。
今の住所で御池高倉上るというところに「室町幕府発祥の地」の碑が建っている。
ここは、北は、二条通、南は御池通 東は柳場通、西は高倉通と、そこそこ広いが、室町通には接していない。
室町通はさらに西へ、間之町通、東洞院通、車屋町通、烏丸通、両替町通の次だ。
室町時代に室町通名前がついたのは、三代義満の頃の「花の御所」が、烏丸通と室町通挟まれたところにあったからだろう。
花の御所のあたりも4年前ほどに行った。
足利将軍室町第跡の石碑があったようだが、行ったときは気が付かなかった。
下の写真は平成26年11月3日に行った。花御所があったあたりの西の室町通。
御所の北西の向かい角にあって、学生街の雰囲気がある街だ。
ここには、三代将軍義満が建立した100mを超える高さの塔が建っていた。
東寺のほぼ倍の高さ。
それも、今は跡形もない。